エンタメ!

歴史博士

常に開かれている浄土の扉 古きを歩けば(51) 西本願寺の総門(京都市)

2013/3/26

3度目の移築は戦後高度成長期

西本願寺の御影堂門前に設けられていた風致園(1909年、資料提供・本願寺史料研究所)

 その総門は「古文書で確認できる限り、これまでに3度移築されている」と浄土真宗本願寺派の東森尚人所務部長は話す。1度目は中興の祖・蓮如上人四百回忌の明治31年(1898年)。類焼防止対策で西本願寺門前の土地(現在の堀川通)を広げて噴水池を備えた園地「風致園」を設けるに当たり、距離は定かではないが東に移した。


享和3年の西本願寺の図絵の右下には総門も描かれている(資料提供・本願寺史料研究所)

 2度目の移築は明治44年(1911年)。親鸞聖人六百五十回忌を控えて多くの参拝者が見込まれたことから、「参拝者の往来の妨げになる」として噴水池を埋めたてて元の場所に戻したと伝わる。

総門は「高麗門」と呼ばれる形式の造りで、門扉は堀川通に向かって開く構造

 そして3度目が昭和34年(1959年)で、元の場所から東へ約6メートル、北へ約45センチの現在地に移した。東方向に移動させたのは交通量の増加に対応して堀川通の拡張が計画され、京都市からの要請で西本願寺はこの10年前に門前の土地を売却したためだ。北方向への移動は正面通に門の中心を合わせるためで、親鸞聖人七百回忌の記念事業の一環で補修して移築したとの記録が残っているという。その結果、袖垣が取り除かれて現在の門のみの姿になり、門の両側部分は堀川通の東側歩道の敷石上に立つ具合になった。ちなみに正面通の名称も江戸時代は「御前通」と呼ばれるなど、何度か変わっているという。

【関連キーワード】

総門西本願寺

エンタメ!新着記事

ALL CHANNEL