明治のリーダーに学ぶ 「生涯現役」健康法

2012/6/14

現代人にとりわけ関心が高い健康問題。その健康ブームは明治維新とともに始まったという。体に悪い物事を避けようとする伝統的な「養生」の考えに代わって、積極的に体力や免疫力などを付けようとする西洋医学の成果を取り入れた考えが普及した。とりわけ山県有朋や大隈重信ら明治のリーダーたちはあれこれ独自の方法を試み、当時「人生50年」時代にあって80歳代まで生涯現役を貫いた。現在にも通用するノウハウを追ってみた。

健康オタク?だった山県有朋

明治の元勲の一人、山県有朋は「元祖健康オタク」と言ってよいほど自分の体調に気を使い、1922年(大正11年)に83歳で亡くなるまで政界に影響力を駆使し続けた。若い頃は友人らから「体を絞れば血でなく酒がわいて出てくる」と言われたほどの酒豪家だった。しかし伊藤之雄・京大教授は「中年以降、さらに70歳代以後と年齢によってはさまざまな健康法を実践した」という。

幕末・維新から西南戦争を指揮し陸軍の巨頭として君臨したものの、健康面では不安もあったようだ。青年期にはリウマチなどに罹患(りかん)している。日清戦争では第1軍司令官として遼東半島まで攻撃しながら途中帰国。2年後のロシア全権大使の時も帰途発病し死を覚悟するなど胃腸病などに悩まされた。

それだけに健康面には関心が深かったようだ。陸軍の初代軍医総監にはかつての敵側、江戸城奥典医だった松本順を登用した。その松本が医療効果が海水浴で高まるという「海水浴健康法」を唱えるといち早く1887年(明治20年)に神奈川・大磯に別荘を建てて実行している。大磯は伊藤博文や陸奥宗光らも加わり日本の別荘地の先駆けとなった。「風呂に海水を入れて試みることもあったようだ」(伊藤教授)という。

半身浴を自ら編み出す

山県は「狂介」と称した幕末時代からヤリの名手。健康のために晩年までヤリの稽古と乗馬を欠かさなかった。50歳以降は徹夜しないように気をつけ、70歳代では9時間睡眠を確保するよう努めたという。アルコールも軍医などの勧めで好きな日本酒からワインに切り替えた。食事は魚中心。大根の煮付けなども好物だったが、胃腸をいたわるため消化によいように芯の固い野菜からは繊維を抜いて食べるように注意した。

現代でいう半身浴の一種も独自に編み出した。タライに湯を張って腰までつかり、頭から毛布をかぶる。十分に発汗したところで就寝するのを日課とした。伊藤名誉教授は「汗をかくのが健康にいいと考えていたようだ。窮屈に思えるほど様々な健康ルールを課しているが当時の記録などからは山県は愚直に毎日こなしていた」。

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