祇園しだれ桜、歳歳年年同じからず
古きを歩けば・花ものがたり 都をどりの幕開け衣装(京都市)
京都の春を彩る祇園甲部歌舞会の同歌舞練場での舞踊公演「都をどり」が今年も観覧客の目を楽しませている。東京遷都で衰退しかけた京都再建の一環として、1872年に始まった同公演。「都をどりはヨーイヤサー」の掛け声で幕を開けることで知られ、最初の景(場面)に総出演する芸舞妓(げいまいこ)のそろいの振り袖衣装は毎年、しだれ桜をあしらった同じ柄と思われがちだが、実は年ごとに図案も色も変えている。
■袖・裾に花傘を配した今年の工夫
今年の衣装の題は「春秋花傘(はながさ)」。肩から袖上部にかけての柄は例年通り、春を象徴するしだれ桜で、袖や裾には花傘と宝づくしを配した。袖と裾の柄は昨年が荒波を乗り越えて行く宝船、一昨年は屏障具(へいしょうぐ)の一種である王朝風の几帳(きちょう)、少し前では1975年が波と百花、80年は八ッ橋だった。あでやかな柄が基本だが、昨年は東日本大震災からの復興への願いを込めるなど、時勢を敏感に映す年もある。
衣装の地の色も同じ青のようでありながら色調を変えている。2002年以降を大くくりすると、07年までが濃い青、08年からは空色に近い青。年々の舞台背景との兼ね合いや時代に沿った青を探った結果の変遷という。
■「顔映り、舞台映りは青が一番」
140年余の歴史の中では数回、緑色の地の衣装を用いている。戦後では1978年と89年など。柄も含めて衣装を毎年替えていることを観客に一目で示す狙いだったが、「顔映り、舞台映りはやっぱり青が一番良い、となった」(中島義高・祇園甲部組合副取締)。
観客で気付く人はほとんどいないが、衣装をわざわざ肩縫い上げにしているのも特色だ。肩縫い上げは子供の身長が伸びてからも着られるようにと、着物を大きめに作っておいて肩に襞(ひだ)をとって縫い止めておくというもの。都をどりでは出演者が成人していないことを示すものとして、最初の景のそろいの衣装は肩縫い上げするならわしになった。襟(えり)や裾も綿を仕込んで二重に縫い、2枚の着物を重ねて着る「二つぶき」に見える工夫もしている。
また、笛や大鼓・小鼓などを担当する囃子方(はやしかた)の衣装は、立方(舞い手)に比べて袖の長さが短く作ってある。この方が楽器を演奏しやすいためらしく、いつのころからかそういう区分けができたという。
都をどりは計8景で京都の四季を表すという趣向で、毎年各景の場面設定、舞の振りを変えている。準備は1年がかりで、関係者はその年の公演が終わった瞬間から次の年の舞台案を思案し始める。衣装は例年、舞台前年の8月からデザインの検討が始まり、都をどりを指導する京舞井上流の家元、井上八千代さんと同会幹部が相談して最終決定。11月中ごろから約1カ月かけて、衣装を友禅の技法で染めるための型が彫られ、年が改まった1月中ごろから約1カ月の間に、毎日ほぼ1着のペースでそろいの計約30着を染め上げるならわしだ。
■百貨店の衣装担当者が常駐
デザインは田畑染飾美術研究所、染めは京友禅の岡重で、ともに都をどり創始の時から携わる会社だ。用いる白生地は品質に定評がある長浜ちりめん。染め上がった反物は京都の熟練した縫い手が衣装に仕立て、全工程の取りまとめは戦後の1950年に都をどりが再開して以降、大丸京都店が担っている。各担当者の呼吸がぴったり合う関係があって、柄を一新した衣装を毎年作れるという。
また、都をどりの4月1日から30日までの会期中、大丸京都店の都をどり担当者や衣装の仕立て担当者は連日、楽屋脇に詰める。1日4公演、計120公演の長丁場だけに、衣装は公演中に次第に消耗するので、ほつれた衣装をすぐにその場で補修するためだ。こうした運営体制もまた、長い歴史の中でいつしか確立され、いまに至っている。
今年の都をどりでは毎年の衣装の変遷を示すため、過去の衣装を展示し、秋野不矩ら著名画家が手掛けた年々の都をどりのポスターの一部を紹介するコーナーも会場の祇園甲部歌舞練場に設けている。
(文=編集委員 小橋弘之、写真=沢井慎也)
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