フード・レストラン

おでかけナビ

伊勢丹はアキバ生まれ、ルノアールは…意外な創業物語 東京ふしぎ探検隊(8)

2011/8/26

「伊勢丹発祥の地」の石碑は旧ヤマギワリビナ本館の角にあった。手前の道路は旧中山道(現国道17号)

意外な物語が潜む大手外食や小売りの1号店。今回は百貨店やコーヒーチェーンについて調べてみた。まず目についたのは伊勢丹。新宿ではなく秋葉原が創業の地だという。その背景を探っていくと、秋葉原の歴史が浮かび上がってきた。

■消えた「伊勢丹発祥の地」の石碑

JR秋葉原駅の電気街口を出て中央通りを渡り、少し歩くと工事中のビルが見えてきた。国道17号に面したビルの角に、立派な台座が置いてある。植木鉢が無造作に載ってはいるが、本来あるべきものはそこにはない。台座の上には何があったのか。

工事中のビルは、2010年8月末に閉館した「ヤマギワリビナ本館」。1923(大正12)年に創業した、秋葉原を代表する店の一つだったが、小売りから撤退してほぼ1年がたつ。春先まではここに、ある石碑があった。「伊勢丹発祥の地」。三越伊勢丹ホールディングスに問い合わせたところ、なぜ撤去されたか、どこにあるかは不明とのこと。千代田区にも聞いてみたが、「区が建てたものではなく、撤去したことも知らなかった」。ビルの工事が始まり、一時的に避難したのかもしれない。

かつての石碑(三越伊勢丹ホールディングス提供)
石碑はいまどこへ…

伊勢丹は1886(明治19)年、この地で生まれた。伊勢庄呉服店に奉公していた小菅丹治がのれん分けとして「伊勢屋丹治呉服店」を開いたのが創業だ。なぜこの場所だったのか。同社の社史によると、神田旅籠町と呼ばれていたこのかいわいは当時、商業の中心地区としてにぎわっていたという。すぐそばを流れる神田川にはコメや炭などを運ぶ船が行き交い、店の前を通る中山道には多くの人出があった。

今でこそサブカルチャーの街として世界にその名をとどろかせている秋葉原だが、歴史的に見ると、人やモノが集まる交通の要衝として発展してきた。

■秋葉原は交通の要衝

秋葉原UDXビル前にある神田青果市場跡地のプレート

長らく秋葉原を特徴付けてきたのは、「貨物駅」と「青果市場」の存在だ。秋葉原には鉄道駅より前に、貨物専用の駅ができた。1890(明治23)年のことだ。水運との接続の良さなどが考慮された。8年前まで日本通運の本社がおかれるなど物流の拠点だった。神田青果市場は1928(昭和3)年から秋葉原の地にあり、東京都民の胃袋を支えた。

ちなみに秋葉原を「あきはばら」と読むのは、貨物駅の名前に由来するとの説がある(三宅理一著『秋葉原は今』芸術新聞社)。それまでは「あきばはら」「あきばっぱら」などと呼ばれていたという。永井荷風は『断腸亭日乗』の中で、もともと「秋葉ヶ原」なのに「アキハバラ」と読むのはおかしいと批判した。「アキバ」の呼び名は歴史的にも正しいのかもしれない。ところで秋葉原駅は千代田区にあるが、地名としての秋葉原は台東区にある。電気街に隣接してはいるが、秋葉原駅からは少し離れている。

ガード下に残る神田青果市場の痕跡

再開発が進んだ秋葉原周辺だが、昔の痕跡は残っていないか。注意深く歩いてみた。するとソフマップからヨドバシカメラへ向かう途中のガード下に「蔬菜 東口売場」と書かれた柱を見つけた。蔬菜は「そさい」と読み、野菜のこと。どうやら青果市場の一部らしい。フェンスで見えにくくなっているが、いかにも古い。ただ、このほかに歴史を語る場所は見つけられなかった。

伊勢丹は1933(昭和8)年に新宿に移転し、貨物駅は75年に閉鎖。青果市場は89年に大田区に移った。電気街は勢いを失い、今はサブカルチャーの街として人を集める。ヤマギワとともに姿を消した石碑は、秋葉原の変遷を示唆している。

フード・レストラン 新着記事

ALL CHANNEL