霞が関、引っぱるのは私 外交・教育で女性官僚奮闘
11月29日、第96代首相の安倍氏のもとで初めて女性の首相秘書官が誕生した。初代首相の伊藤博文以来、128年間も男性が独占し続けていた職に就いたのは、総務省出身の山田真貴子さん(53)だ。直近は経済産業省に出向し、IT戦略担当審議官として活躍していた。
官邸では各省庁からの情報を吸い上げて首相に報告。秒刻みでスケジュールをこなす首相に同行し、サポートする。いっときも緊張の解けない激務だ。しかし「政策全体を戦略的に実行していく仕事にやりがいを感じます」と前向きだ。
きゃしゃな外見とは対照的に「芯が強く打たれ強い」(総務省幹部)というのが周囲の評だ。総務省では初の女性局長候補と目されていたが、首相官邸によって"ヘッドハンティング"された。
1984年に総務省の前身の旧郵政省に入省。同じ省の後輩が夫で、1男を育てた。国会答弁の前日など大切なときに高熱を出し、深夜におんぶして救急に駆け込むこともあったという。
これに先立つ今年6月末、安倍首相は女性官僚を相次ぎ幹部に登用する人事を打ち出した。文部科学審議官となった板東久美子さん(59)もその一人だ。
77年に旧文部省に入省し、81年に長女、85年に長男を出産した。仕事と家庭を両立できたのは「理解のある夫と子どものおかげ」と語る。例えば掃除は夫の役割。あるとき出張中の夫に代わって掃除機をかけると、当時2歳の長男が「それはパパのだよ」と制するほどだったという。
長男が高校受験、長女も大学受験を控えた時期に、秋田県副知事への就任を打診された。夫が2人の子どもに「お母さんの分も家事をやれる?」と聞くと、答えは「うん」。その一言が背中を押した。秋田では国際教養大学の設立などの実績を残した。今は文科省の事務方ナンバー2として後輩女性の支援にも力を入れる。
「我が国固有の領土の上空をあたかも中国の領空であるかのごとく表示することは、当然受け入れられない」。12月11日、外務省で開かれた外務報道官の定例記者会見。中国の防空識別圏に対する政府の見解を問われ、佐藤地(くに)さん(59)は毅然と答えた。
初の女性外務報道官となった佐藤さんは、81年に外務省に入省。国連海洋法条約や世界貿易機関(WTO)の通商交渉など、国益のかかった多くの国際交渉に携わってきた。
「交渉の場でも『女性』ということで困ったことはない」と言い切る。仕事は男女の分け隔てなく、海外出張や研修も平等に行ける。むしろ女性の少ない職場で「甘やかされているかもしれない」と考え、むきになって上司のかばん持ちや出張先での運転手役を買って出たこともある。
そんな佐藤さんも今や150人の部下を持ち、中には女性の姿も増えてきた。文化交流・海外広報課長の高田真里さん(47)もその一人。大学在学中にOGの佐藤さんを訪問し、「格好いい仕事ぶりに憧れて外務省を志望した」(高田さん)。
政府は中央省庁の課長・室長級以上の女性比率を2015年度末までに平均5%に高める目標を立てている。だが11年度時点では2.6%にとどまる。女性幹部が少ない省庁の一つが国土交通省。2159人のうち女性は18人(0.8%)のみだ。
その国交省でも7月、調査部門のトップに初めて女性が就いた。国土交通政策研究所長の後藤靖子さん(55)だ。
後藤さんは国交省の前身の旧運輸省で初の女性キャリア官僚だった。80年に入省した直後は「本当は採りたくなかった」とまで言われ、男性の新人職員はやらないお茶くみや掃除もしたという。
職場には手本となる女性上司も、相談に乗ってくれる女性の同僚もいない。だが右往左往しながら毎日の仕事をこなすうち、次第に男性の先輩にも応援してくれる人が増えてきた。そして「誰かの役に立ち、社会に貢献できる仕事の楽しさに目覚めた」。
米ニューヨーク、山形県、新潟県と転勤もひっきりなしだったが、逆に人脈や経験が広がった。「霞が関に限らず『幹部に登用できる女性がいない』といわれるが、それは古い物差しで評価しているから。評価基準を見直して女性を登用すれば、組織にも新しい風が入る」と力説する。
中央省庁の女性幹部はまだ数少ないが、新卒採用者に占める女性の比率は26.8%に達する。先達らが道を切り開き、その後を後輩らが続く。霞が関で活躍する女性幹部が珍しくなくなる時代は確実にやってくる。
(赤尾朋子、平本信敬)
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