「すべて自分で」という発想を転換
WHOメディカルオフィサー、進藤奈邦子さん
Wの未来
――国立感染症研究所からWHOに派遣された経緯を聞かせて下さい。
「定期的な人事交流プログラムでした。厚労省からの技術貢献です。期間は2年。いつかは行きたいと思っていました。(外科医から)国立感染症研究所に入った理由の1つに、自分のフィールドを国際的に広げたいという気持ちがありましたから。もう1つは家族との時間がとれる環境が大事でした。スイスに来たときに子供は4歳と7歳でした」
――後にWHOの正規職員に採用されました。
「派遣されてからの私の使命はアウトブレーク・レスポンス(発生時の対応)とパンデミック(世界的大流行)への準備計画を連携させようというものでした。カナダの保健省と協力してつくったサーチエンジンでウェブを検索し、引っかかった発生情報の中から重要と思われるものを確認する『諜報(ちょうほう)官』の仕事をしていました」
「そうしているうちに重症急性呼吸器症候群(SARS)がやってきて、それが終わると鳥インフルエンザのH5N1が広がりました。やがてWHOがその仕事に予算をつけてポストを設けて、公募することになりました。それに応募しました」
――採用試験には600人以上の中から選ばれました。そのときに、どんな経験が生きましたか。
「派遣の段階でSARSやH5N1と対峙して、すごい修羅場を見たことですね。当初は派遣の立場なので昇進争いとかには巻き込まれないはずなんだけれど、自分の業績を横取りしようとする人がいたり、足を引っ張る人がいたりで。パワハラもセクハラもありましたよ」
「国連機関の仕組みに詳しい友達がアドバイスしてくれたのでラッキーでした。同じ年齢のワーキングマザーでフランス人です。WHOは英語とフランス語が公用語なのでフランス語コミュニティーも大きくて、そこから情報が入るんですね。私も御利益にあやかりました」
「試験の面談では困難な状況で結果を出せるか、ポストにあった競争力を持ち合わせているか、を試される場面があります。答えがあるインタビューではなく、過去の経験をもとに答えるものもあります。日本人は自分の経験よりも一般論で答えてしまう傾向があって、人となりを評価されずに損をしている面もありますね」
――正規職員に応募するとき、長く日本を離れることへの不安はありませんでしたか。
「自分が大きなムーブメントの真ん中にいると感じていました。私が届けている情報を、他に誰が届けるのか。だからジュネーブでの滞在が何年になるのかなんてまったく考えていなくて、とりあえずポストをとる、という気持ちでした。やっていることを手放したくなかったんです」
「だから迷う余裕もありませんでした。子供の教育をどうするかも考えていなくて。でも結果は良かったですよ。インターナショナルスクールに通ううちに日本人であることに敏感になるし、ジュネーブという土地柄もあって、人権や難民の話題にも触れる機会が多い。私が出張に行くときに、子供が学校で『パキスタンのその地域は(国際テロ組織の)アルカイダが潜伏しているみたい、気を付けて』と外交情報を集めてくれることもあります」
――オフタイムはどうすごしているのですか。
「感染症の発生に対応して世界のいろんなところに行くので、いろんなところで友達ができます。仲良くなったスコットランド出身の友達とスコットランドまで釣りをしに行って、ついでにウイスキーの蒸留所巡りをして、なんてことをしてます」
――その間にお子さんはどうするのですか。
「昨年までは住み込みのお手伝いさんを雇っていました。スイスでは社会保障も負担するのでかなり大変でしたけど、ぜいたくしなければ大丈夫。日本ではすべて自分でやらなくては、と考えがちですが、精神科医のおばのアドバイスをききました。子供が育つときはあなたも育つ時期だから、お金をかけて済むことは自分でやらず、それで得た時間を子供や友達と過ごすのに充てなさい、と」
――スイスに来て10年が過ぎていますが、日本が恋しくなることはありますか。
「前に当時の李鍾郁WHO事務局長にもそういうことを聞かれて、桜と桜吹雪が懐かしいですね、と答えたんです。李先生は奥さんが日本人で、そうですよね、と納得していました。その話を同僚にしたら、『じゃあ桜を植えようか』と話が進んで、敷地内に50本を植えました。ソメイヨシノを植えたかったのですが、土が合わないようで、八重桜にしました。春になると満開で、みごとですよ」
「あとは日本人がスイス好きなのか、友達が旅行で会いに来てくれるので大丈夫ですね。食事もほとんど毎日、日本食を作っています。息子もスイス育ちなのに、朝からごはんとみそ汁です。昨晩は鶏鍋に湯豆腐、仕上げは雑炊、でしたね」
――日本の女性のキャリアについて思うことは。
「日本で当たり前のことも外に出れば違ってくるのですが、日本の女性はその『当たり前』にはまろうと一生懸命になっている。競争に遅れまい、という意識からでしょうか。結婚している暇はない、子供を産んでいる暇はない、と考えがちな印象を受けます。女性としての生物学的な成長を楽しみながら生きた方がいいと思います」
「私は男女雇用機会均等法の1期生です。30歳で子供を産みましたが、同期では早い方です。女性の管理職第1号という道を上ってきたから、すごく真面目に考える世代でした。私はできちゃったから子供も生んだし、結婚もして、1人目がかわいいから2人目も生んで、良かったです。ハプニング的な出来事でしたが、ずっと1人だったらこの魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界でここまではこれなかったと思います」
――子供の存在が支えになったということですか。
「若いときは仕事ができて、容貌もきれいでちやほやされても、いつかガラスの天井にぶつかることがあります。いずれ親も老いて、自分もお肌の曲がり角が来て、年をとったと実感するわけです。ですが一方で子供が成長して、生命力をほとばしらせているのでバランスがとれるのです。世代が交代するのだな、と自然なサイクルで考えられます」
「それに仕事でどんなにひどいことが起こっても、家に帰れば子供たちがかわいくて、話していると楽しくて。あまり気落ちしないで、耐えてしのいで頑張るぞ、と思えますね」
(ジュネーブ=原克彦)
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