凶暴な身体性に賭けたカラックス
カンヌ映画祭リポート2012(4)
背が曲がり片目のつぶれた異形の男が、ゴジラのテーマに乗って、墓場をのし歩く。指は曲がり、つめは黒ずみ、服はぼろぼろ。花をわしづかみにして、むさぼり食う。話しかけてきた写真家の指にかみつき、ブロンドの美女をさらって、肩に担いで駆けていく……。
獣のようなドニ・ラヴァン
5月22日。圧倒的な迫力をもつ作品がコンペに登場した。フランスのレオス・カラックス監督「ホーリー・モーターズ」。圧巻は10のキャラクターを演じ分ける主演のドニ・ラヴァンの肉体である。
パリの一夜を謎の男、オスカー氏(ドニ・ラヴァン)が流浪する。それだけの物語だ。オスカー氏は白いリムジンに乗って移動しながら、次々と姿を変える。銀行家、ホームレス、映像特殊技術の専門家、物ごいの女、死んでいく男、殺し屋、その標的……。
「ボーイ・ミーツ・ガール」「汚れた血」で1980年代に鮮烈にデビューした鬼才カラックス。同世代の俳優ドニ・ラヴァンは分身ともいえる存在だった。パリの大道芸人と画学生の激しい恋を描いた「ポンヌフの恋人」(91年)はその集大成。小柄だが鍛え上げられたドニの身体は、若きカラックスの心の叫びを、文字通り体現した。
裸で石畳を引きずられるドニ、タイツ姿で踊るドニ、アコーディオンを弾きながら行進するドニ、ポンヌフ橋のたもとのサマリテーヌ百貨店跡の廃虚をさまようドニ……。「ホーリー・モーターズ」でも、その凶暴な身体がスクリーンを縦横に駆け巡る。それだけでできた映画といってよい。
カラックスは「ポーラX」以来13年ぶりの長編を、ドニの身体性に賭けたのだろう。「ポンヌフの恋人」撮影時に20代だったドニも、今年で51歳。顔のしわは増えたが、身体には今も力がみなぎっている。マシンでつけたハリウッドスターの筋肉とは違う、パリの大道芸人がもつ獣のようにしなやかに躍動する筋肉だ。「ホーリー・モーターズ」は、ダンスや演劇と同じように、映画もまた身体表現であることを思い起こさせる。
いまひとつ驚きに欠ける今年のコンペの中で、強烈な個性がみなぎる作品だ。23日の記者会見でカラックスは「ぼくは誰が大衆(パブリック)なのか知らない。公的(パブリック)な映画は好きではない。私的(プライベート)な映画を作る」とうそぶいた。そしてドニはこう付け加えた。「映画の作り手と観衆の関係は私的なもの、1人の個人ともう1人の個人との関係だ。不特定多数との関係ではない」
歌って踊る「愛と誠」
パレの地下には世界各国の配給会社が集まり、映画を売り買いするマーケットがある。ここを歩いていると、映画が作品であると同時に、商品でもあるということがよくわかる。商品としての性格を如実に示すのは、そこかしこに張られたポスターやチラシだ。
面白かったのは三池崇史監督「愛と誠」の海外向けポスター。梶原一騎・ながやす巧原作の純愛劇画に沿ったシリアスなイメージの日本のポスターとまるで違う。ピンクと黄色を基調としたポップなデザインで、はちゃめちゃな学園コメディーの趣。学生服姿の妻夫木聡と武井咲の周りで、珍妙ないでたちの登場人物たちが歌い踊る姿がちりばめられている。まるでインド映画だ。
英語題は「For Love's Sake」。配給する角川書店によると「愛のために」という意味で、「for God's sake」(お願いだから…)をもじったという。惹句(じゃっく)は「美女が野獣と恋に落ちたとき、ハイスクールに愛の嵐が吹きまくる」「日本からウエスト・サイド・ストーリー。三池がユニークなハードコア・ラブ・エンターテインメントを作った!」。
「エンターテインメント作品であることを前面に出した」と海外セールス担当の鈴木朝子氏。三池は暴力的なカルト映画の作家として以前から欧米に熱狂的なファンをもち、近年は三大映画祭への出品で一段と知名度が高まった。一方、香港や台湾では原作の劇画も知られており、主演の妻夫木の人気も高い。角川書店によると欧州やアジアからの問い合わせが多数来ているという。
ちなみに実際の作品は、1970年代のヒット歌謡曲に乗せて、劇画でおなじみの強烈なキャラクターが次々と登場して、歌い踊る大娯楽作品。海外版のポスターの方がずっとイメージに近い。三池作品としては昨年の「一命」に続き、コンペ外の作品として21日深夜に上映された。カンヌの三池への視線は熱い。
東京芸大院生の「理容師」も出品
世界各国の映画学校の学生作品の秀作を集めるシネフォンダシオン部門には、日本の秋野翔一監督が東京芸術大学大学院の修了制作として撮った「理容師」が出品された。38分の作品で、23日午後にブニュエル劇場で上映された。
小さな理容室を経営する夫婦の物語だ。夫、妻、妻の父、妻の弟の家族4人はみな理容師。父はすでに引退しており、弟はまもなく結婚して家を出る。そんなとき、夫にガンが発見される……。
奇をてらわない正統的な家族劇だ。カメラは終始、家の中にとどまり、家族一人ひとりの心理のあやを鮮やかにとらえる。
1985年生まれで、黒沢清監督らが指導する東京芸大大学院映像研究科の5期生。同大学院の修了制作はデジタルで長編を撮る監督が多いが、あえて35ミリフィルムを使って短編を仕上げた。室内だけで展開する家族の話にしたのも「自由に作るといっても、やみくもにやるのではなく、自分にかせを与えて、その中で何ができるかを考えたかった」という。
「緊張した。日本でも観客と一緒に見たことはなかったので」と秋野。客席には審査委員長のジャン=ピエール・ダルデンヌの姿もあった。大学院は昨春に修了し、今は実習の手伝いなどをしながら、長編映画を構想中。「これからも、人と人の関係性を描いていきたい」と抱負を語った。
(編集委員 古賀重樹)
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