黒澤を語る監督たち
カンヌ映画祭リポート2011(5)
カトリーヌ・カドゥさんにカンヌで再会した。山形や東京などあちこちの映画祭で会うのだが、今回は通訳としてではない。同じシネフィル(映画好き)としてでもない。新作を出品した監督としてである。
13日にカンヌクラシック部門で上映されたフランス映画「黒澤、その道」は、黒澤明に影響を受けた世界の映画作家が、それぞれの黒澤観を語るドキュメンタリーだ。「影武者」が出品された1980年以来、カンヌ映画祭の日本語通訳を務めるカドゥさんが、マーティン・スコセッシ、クリント・イーストウッド、ベルナルド・ベルトルッチ、宮崎駿ら11人の監督にインタビューしている。
これが面白い。どの監督も着眼点がユニークなのだ。
アッバス・キアロスタミは「姿三四郎」の試合のシーンに着目。格闘する2人より周囲で見ている人々を丹念に撮っていることを指摘し、「黒澤はアクション(動き)よりリレイション(関係)を見ている」と読み解く。塚本晋也は「七人の侍」はじめどの作品も娯楽と実験的要素が両立していることを強調、自身の黒と白のコントラストのはっきりした画面は黒澤の影響だと告白する。
ポン・ジュノは「天国と地獄」の高台の邸宅と低地の家々の対比を「町が性格をもっている」と評し、自身の「母なる証明」の町の参考にしたと語る。アレハンドロ・イニャリトゥは「生きる」のキャバレーの場面に現れる戦後風俗の描写に注目し、わい雑な空間で志村喬の孤独を浮き立たせる演出を「とても洗練されている」と激賞する。
確かにカンヌに来る前に東京で見たイニャリトゥの新作「Beautiful」(6月公開)は随所に「生きる」の影響があった。末期がんに侵された男という設定だけではない。キャバレーの場面にそっくりのシーンまであった。
宮崎は小道具や衣装の細部に感動し「映画を作る人間の覚悟がわかった」と述懐する。ジョン・ウーは黒澤のヒューマニズムを語り、ジュリー・テイモアはその古典への造詣を語り、イーストウッドはその越境性を語る。テオ・アンゲロプロスは黒澤の80歳を過ぎてますます盛んになった映画への探求心を語る。ベルトルッチもその冒険心を称揚し、「いま黒澤が生きていたら、3D映画を撮る」と断言する。
ジスカールデスタンやミッテランなど歴代大統領の通訳も務めたカドゥさんは、黒澤の言葉を通訳しながら「監督の言葉は心の中にまで届く」と感じていた。ならば現代の監督たちの言葉を使って、黒澤を語ることはできないか、と考えた。
直接のきっかけは2009年秋のベネチア国際映画祭で開かれた黒澤生誕100年シンポジウム。パネリストの批評家たちが「最近の若者は黒澤を見ていない」と嘆いたのに対し、客席で聞いていた塚本晋也が「ぼくは見ている」と異議を唱えた。このときの塚本の話をきっかけに「私なりの黒澤100年祭として、映画を作ろう」と決意した。
カドゥさんにとっては東京での住まいがある木場の町に目を向けたチャーミングなドキュメンタリー「住めば都」に続く2作目。監督たちは快く取材に応じ、パリに住むカドゥさんはロンドン、東京、ソウル、北京、ロサンゼルス、ニューヨークなどを駆け回った。
黒澤を語る監督たちの表情がいい。実に楽しそうに語っている。その興に乗った話しぶり、熱い語り口を見ていると、見ている側もうれしくなる。聞き手のカドゥさんがうれしかったように。
「先生に会ったときの雰囲気を分けてあげたくなった」とカドゥさん。通訳だけでなく、「乱」以降はフランス語字幕の制作も担当し、「夢」では「ゴッホ」の絵の中の洗濯女の役として出演までした。インタビューに行った彼女の方が、黒澤の現場と素顔を知りたい監督たちから逆に質問攻めにあったという。監督たちとカドゥさんの黒澤への愛、映画への愛が詰まった幸福な映画だ。
こういう映画を生み出すのが映画祭なのである。日本の映画ファンにもぜひ見てもらいたいが、どうにかならないものだろうか。
(編集委員 古賀重樹)
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