河瀬直美の到達点示す「朱花の月」
カンヌ映画祭リポート2011(9)
河瀬直美が8ミリカメラで撮った初期ドキュメンタリー「につつまれて」「かたつもり」を初めて見たのは、山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品された1995年だったと記憶する。自分を育ててくれた「おばあちゃん」に迫った作品だ。当時盛んに作られていた、身辺の何気ない日常にカメラを向ける「私的ドキュメンタリー」の代表作と位置づけられるが、河瀬作品は他の作品とはどこか違っていた。
一言で説明するのは難しいが、身近な日常を淡々と撮りながら、あるきっかけでポーンと飛躍する感覚とでも言おうか。カメラを構える河瀬自身の心の揺れが、そのまま映像に現れる。彼女が何かをつかんだとき(それはショッキングな事実であったりするのだが)、カメラがとらえた風景もざわざわと動き出すのだ。
18日夜に公式上映された「朱花(はねづ)の月」は、そんな河瀬の到達点を示す作品ではないかと思った。
奈良県の飛鳥地方を舞台にした女1人、男2人の三角関係の物語である。そこには3つの時間が流れている。ひとつは現在。染色家の加夜子(大島葉子)はPR誌編集者の哲也(明川哲也)の妻だが、彫刻家の拓未(こみずとうた)と愛し合っていて、子を宿す。ふたつ目は過去。戦時中、加夜子の祖母と拓未の祖父はひかれあっていたが、周囲に仲を裂かれる。そして大過去。万葉集が伝える大和三山の伝承だ。香具山(男)は畝傍山(女)を巡って、耳成山(男)と争う。
三つの時間軸を絡ませた骨太の物語は、あたかもドキュメンタリーのように生々しい映像で語られる。土、水、雨、風、月、山、川、草、木、炎、そして血……。万葉以来の超然とした風景が、どうしようもない男女の営み、かなえられぬ思慕、それでも生まれてくる新しい命を見守る。加夜子の心の揺れが生々しく、痛ましくすらある。
河瀬の作る劇映画は「萌の朱雀」(97年)から「殯(もがり)の森」(2007年)に至るまでその物語性にどこか未消化な部分が残っていた。だが「朱花の月」の物語は極めてシンプルで洗練されている。説明的なショットを排し、ひたすら事物を凝視し、事物に語らせる、そしてイメージを飛翔させる。そんな河瀬の資質が、盤石の基礎を得て、花開いているのだ。
カンヌ入りしてからの河瀬はメディアからの質問が多いこともあって、東日本大震災に関する発言を続けている。18日昼の公式記者会見では「繊細な問題なので、安易には語れない」と前置きしながら、以下のように胸の内を語った。
「津波が大災害をもたらした。私たちは自然という脅威の中に生きていることを認識しなくてはいけない。私たちは自然という脅威と隣り合って、奇跡的に生きている。その奇跡的な命を大切にしたい。隣人とコミュニケーションをとり、地域のつながりを大切にしたい。対立を強調して孤独になるのではなくて」
「私の作品は自然が主人公になることが多い。自然と共存し、過去からずっとつながっている自然を未来につなげなくてはいけない。そのことを作品を通して伝えたい」
同日夕の公式上映後の拍手は鳴りやまなかった。「観客の深いところに届いたという手応えはある」と河瀬は語る。
映画の最後に「無数の魂に捧ぐ」という字幕がでる。この字幕を入れる作業をしていたまさにその日、河瀬は東京で地震にあった。「無数の魂」は藤原京以来の飛鳥の人々の魂を指す。しかし「いまや震災で亡くなられた方も指すのだと気づいた」と河瀬。震災は作品のあり方をいや応なく変えた。その世界をさらに開かれたものにしたのかもしれない。
「発言することが人類にとって大事なことではないか。経済主義で先へ先へ行こうという試みに、何か違うんじゃないかと申し立てることが表現者の役割ではないか」。公式上映後のカクテルパーティーで河瀬はそう語った。
(編集委員 古賀重樹)
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