漫画で語る日本戦後史、エリック・クーの深い共感
カンヌ映画祭リポート2011(10)
映画祭という場にいると、世界の中の日本というものをいや応なく考えさせられる。17日深夜、ある視点部門で上映された「TATSUMI」もそんな映画だった。シンガポールのエリック・クー監督が日本の劇画家、辰巳ヨシヒロの作品をアニメ化したものだ。日本の漫画の海外での人気の高さはいまや誰もが知るところだが、その理解も深い。もしかしたら日本人以上に深い部分に到達しているのではないかと思わせる作品なのだ。
原作は辰巳の自伝的作品「劇画漂流」と5つの短編劇画。敗戦直後の大阪で10代から漫画を投稿し始めた辰巳が、貸本漫画を経て、さいとう・たかをらと共に「劇画」という新ジャンルを開拓するまでの歩みを、日本の戦後史と重ね合わせながら語っていく。
それは敗戦に伴う日本人の暗い影の部分も直視した一種の精神史なのだが、日本人が見ても少しも違和感がない。説明がなければ、これがシンガポール人が撮った作品とは到底思えないだろう。
自身も漫画を描くクー監督は約20年前に辰巳作品に出会い「そのオリジナリティー、リアリティーのある物語に、吹き飛ばされるような衝撃を受けた」。以来、ずっと辰巳のファンだったが、09年に「劇画漂流」を読んで、その実人生を知り、映画化を思い立った。
日本では必ずしもメジャーとはいえない辰巳作品だが、海外の漫画ファンにはよく知られている。米国で英訳が多数出版されていて、クーもシンガポールでそれを読んでいる。
クーと共にカンヌ入りした辰巳によると、海外からの辰巳作品の映画化申し入れはここ20年の間にいくつもあったという。ハリウッド、英国、スペインなど相手も様々だったが、残念ながらひとつも実現していない。シンガポールからの申し出にも当初はあまり期待していなかったが「クーさんと会ってみて、これは信頼できると思った」。漫画を描く人間から評価されたこともうれしかったという。
劣等感や空虚感、罪悪感の入り交じった戦後の日本人のダークな部分を赤裸々に描く辰巳作品。辰巳自身も「海外で理解されるとは想像もしなかった。いまでも夢かな、と思う」と告白する。
クーは「自分の心に直接響いたから、それを伝えたいと思った。辰巳先生の描くキャラクターは、苦しみや悲しみの中にありながら愛情を込めて描かれている。その物語は世界中につながる」と明快に語った。
「海外には理解されないだろう」というのは多くは日本人の思い込みなのかもしれない。その裏には傲慢な自尊心が隠れていたりするのだ。優れた芸術作品は容易に国境を越え、人の心を直接揺さぶる。辰巳の劇画はそういう作品であり、クーの映画はそのことを証明している。
(編集委員 古賀重樹)
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