古代からの植生潤す聖なる池
下鴨神社の御手洗池(京都市) 古きを歩けば特別編・水景を愛でる(3)
下鴨神社(京都市左京区)の境内には様々な摂社・末社(祭神に関連する神やもともとの地主神)があるが、今回は本殿のすぐ近くにある「御手洗社(みたらししゃ)」と呼ばれる社を紹介しよう。同社は罪や穢(けが)れを大海原に流す災厄祓除(ばつじょ)の女神とされる「瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)」を祀(まつ)る社。井戸の上に建立されていることから「井上社」の呼び名もあり、この社の井戸水が社の前の御手洗池(みたらしいけ)の水源になっている。
■境内で名を変えつつ糺の森に
御手洗池は京都三大祭りの1つ葵祭の前儀で斎王代による禊(みそぎ)の儀や、土用の丑(うし)の日に足を浸して疫病や病封じを祈願する「足つけ神事」、立秋前夜の行事「矢取り神事」などの儀式が行われる場所になっている。御手洗池の水は池とつながる御手洗川へと流れ、奈良の小川、瀬見の小川などと境内で名を変えて下り、鴨川に注ぐ。この流れの過程で、京都の市中にありながらも古代の植生を残す同社の社叢(しゃそう)林「糺(ただす)の森」の樹木を潤している。
■人間の5体にちなむ?団子
御手洗池を巡っては面白い伝承がある。言い伝えの1つによると、その昔、池に泡が1つ浮き、少し隔てて泡が浮いた様を模して作られたのが「みたらし団子」というのだ。この団子は現在、商う店によって串に通す団子の数や大きさが違うが、1串に5個、それも先端の1個だけをほかの4個と少し離した通し方は人間の5体にちなむという。
団子は昔から神饌(しんせん)に用いられ、儀式後は氏子に分け与えられてきたため、その団子がいつしか病封じの神事などと結びついてこうした言い伝えが生まれたのだろう。
下鴨神社の近くに店を構える「加茂みたらし茶屋 亀屋粟義」は「池の泡をかたどったとの伝承や、祓(はら)いに用いられる人形(ひとがた・紙の人形)にちなんで私どもの店では5個にしています」と話す。ちなみに団子の材料は米粉。湯と混ぜて練ると自然に粘りけが出て、形を丸く整えた後にせいろで蒸し、軽くあぶってタレをつけてできあがりという。
■尾形光琳のモチーフか
その「みたらし団子」は現在に至るまでの変遷で分からないことも多いが、桃山時代には北野天満宮(京都市上京区)の界隈(かいわい)の名物になっていたようで、思わぬ人物が気に入ったとの逸話が残る。それは豊臣秀吉。秀吉は1587年に京都・北野の松原で大茶会を催した際、みたらし団子をこの地の茶店から献上されて気に入り、褒美としてみたらし団子を商う特権と茶屋の営業を公許する茶屋株を与えたという。これがいまの京都5花街の1つ・上七軒で、秀吉の逸話にちなんで上七軒歌舞会は紋章に「五つ団子」を使っている。
御手洗池は現在、みぎわが整備され、そぞろ歩きをする参拝者も多い。その参拝者が本殿から池に向かう途中、目を留める場所がある。御手洗川のほとりにある梅の木だ。この辺りは江戸時代中期の画家・尾形光琳が「紅白梅図屏風」(国宝)のモチーフにした場所とも伝わり、「紅白梅図屏風」の構図を思い浮かべながら御手洗川と梅の木の位置を確認していく。
下鴨神社には様々な逸話があり、御手洗池だけとってもゆかりのものや派生したものを含めて聞いてゆくと歴史上の人物らが出てきて驚かされる。やはり歴史のある神社ならではなのだろう。
(文=編集委員 小橋弘之、写真=大岡 敦)
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