森茉莉 自分を偽らない人生ヒロインは強し(木内昇)

イケメンで明るく爽やか、裏表のない好男子――そんな人畜無害な男のなにがいいのだ、とお嘆きの女性がおられれば、森茉莉の「ドッキリチャンネル」を一読されたい。七十年代後半から八十年代にかけ週刊新潮に連載されていたコラムで、テレビや書籍、日常で接した事柄を歯に衣着せぬ論調でバッサリ斬った内容である。二枚目俳優の演技を「優等生的」と一蹴、一方で田中邦衛の芝居の深さに紙幅を割き、タモリを気持ち悪がりつつもその才能を認める。上辺に惑わされず人の本質を見抜く炯眼(けいがん)ゆえ、辛辣ながら不快ではない。そういえば昔は、緒形拳にせよ松田優作にせよ、アクの強い男が数多く画面を彩っていた。向田邦子も癖のある俳優を好んで起用したというが、いかに容姿が整っていてもサラサラペラペラな男は歯牙にも掛けない女というものもこの当時は結構いたのである。

■鴎外が溺愛、16歳で結婚 1903~87年。東京・千駄木出身。作家、森鴎外の長女として生まれ、溺愛されて育った。16歳でフランス文学者の山田珠樹と結婚。その後渡仏し、ふたりの息子にも恵まれるが、10年たたずに離婚。再婚は大学教授であったが、1年足らずで結婚生活に終止符を打つ。「暮しの手帖」編集部に身を寄せるなどして暮らしを立て54歳でエッセイ集「父の帽子」を発表。小説も書きはじめ「甘い蜜の部屋」で泉鏡花賞。

森茉莉は、『舞姫』他を著した軍人にして作家、森鴎外の長女である。千駄木の家で過ごした少女時代を描いた「幼い日々」はじめ、数々の随筆や小説を残している。庭の木々や光の反射、人力車の行き交う音、父と母の佇まい。それが読み手の目に鮮明に浮かぶほど見事な描写だ。まさに、栴檀(せんだん)は双葉より芳し。細やかに事象を見つめる目のよさは生来の資質だろうが、彼女が、鴎外との思い出を描いた「父の帽子」を世に出し、文筆家として本格的に歩みはじめたのは五十を過ぎてからのことだった。

二度の結婚離婚を経ているが、結婚については「したような、しないような」と言ってはばからない。片付けが苦手でひとり暮らしの部屋は散らかり放題。ただし「空罎(びん)の一つ、鉛筆一本、石鹸一つの色にも、絶対こうでなくてはならぬという鉄則によって選ばれている」(「贅沢貧乏」)。鋭い観察眼に比べ、生活人としてはどこか現実味に乏しい。その分、通俗的な価値観に囚われない。離婚後あらぬ噂を立てられ、これといった仕事もなく、つましい暮らしをする中でも、茉莉は孤独の美しさに目を向け、自分の好きなものを捨てなかった。「私は世間というものに余り魅力を感じなかったし、それよりも自由という事が大きな魅力で、あった」(「私の離婚とその後の日々」)。

「パッパ」と慕った鴎外に愛された日々が、彼女の中でいくつになっても輝きを失わず、現実を凌駕し続けたのだろうか。それは善し悪しかもしれないが、こと茉莉においてはその感覚こそが、余人には著しがたい妙味を述作にもたらしたように思う。

今やタレントならずともキャラがもの言う時代だ。TPOに合った節度や礼儀は大切だが、社会になじむため当たり障りのない人物を演じまでするのは、果たしてどうだろう。森茉莉の生涯が幸せだったか否かは、外野からは判じようもない。が、少なくとも自らを偽らず生(き)のままを貫いたという点において、彼女の、どこか浮世離れした人生に生命の燦めきを感じずにはいられないのである。

[日本経済新聞朝刊女性面2014年1月18日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

※「ヒロインは強し」では、直木賞作家の木内昇氏が歴史上の女性にフォーカス。男社会で奮闘した女性たちの葛藤を軽妙に描きます。

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