均等法世代が扉開く 企業に育つ女性リーダー「人を活かす会社」本社調査

2013/11/9
日本経済新聞社の「人を活(い)かす会社」調査で、大手企業に女性管理職が育ちつつあることが分かった。男女雇用機会均等法の施行初期世代が現場リーダーとして組織のトップに立ち、女性の活躍が遅れていた日本企業の重い扉を開き始めている。
新日鉄住金初の女性部長として31人の研究部員を束ねる、基盤メタラジー研究部の河野佳織さん(兵庫県尼崎市)

新日鉄住金で昨年10月、新機能素材作りを担う基盤メタラジー研究部の部長になった河野佳織さん(49)。前身の旧新日本製鉄、旧住友金属工業の歴史をさかのぼっても、初の女性部長だ。国内2カ所に分かれている31人の部下を指揮している。

旧住金への入社は1989年。女性総合職の採用2年目だった。女子高から女子大に進学。会社見学にやってきた製鉄会社は男ばかりだったが、「なんとなく肌に合いそう」と感じ入社した。自らは女性であることを意識しなかったが「回りの男性は、かなり気を使っていた」。それまで夏は上半身裸で研究することもあったが、河野さんの配属でなくなったと聞いた。

男性との最大の違いはしかられないこと。他の研究員が叱責を受けていても厳しくは追及されなかった。自分は仕事ができるからなのか――。誤解に気付いたのは米エクソン(現エクソンモービル)の研究所に派遣され、研修した時。宗教も人種も多様な研究者の中に、男女差など当然ない。自らの発表に容赦ない指摘が飛んだ。「恵まれすぎて、勘違いしていた。(特別視される)弊害を感じた」

今、部下には複数女性がいるが、もちろん男女差を意識することはない。「(男性でも女性でも)個人の特性に目を向けて、それぞれに合った機会を与えたい」と話す。

旧新日鉄は女性総合職の採用を、86年の均等法施行初年度から始めた。古本結子さん(50)はその1期生。新日鉄で法務に7年携わるも、異動を余儀なくされて退社。米国に留学しニューヨーク州の弁護士資格を取得する。95年帰国し、三菱商事に入社。法務の専門知識を生かした仕事ぶりで、昨年女性初の部長相当職に就任した。

2児の母でもある古本さんの1日は朝4時に始まる。子どもの弁当や朝食の支度を済ませ、午前6時20分に家を出る。誰よりも早く7時に出社。部下の資料に目を通し、始業時間までに前日の仕事の処理を終える。そして遅くても午後8時には退社する。朝型の生活スタイルは家庭生活と総合商社の部長職を両立するための古本さんの解だ。

実は、中途入社した三菱商事も1度辞めている。出産時は産休だけで復帰。親族の協力で乳幼児期を乗り切ったが、小学生になると保育園のような預け先がなかった。「どんなに頑張っても両立は無理」と2005年に退社。育児が落ち着いた08年、自身2度目の中途採用試験を受けて再び入社した。