校地内に陶芸小屋がある

学校の芸術教育では8割が惨敗する

当時の進学校は「受験校」と呼ばれ、いわゆる実技教科はあからさまに軽視されていた。普通にやっていると授業が成り立たないので、怒鳴って生徒を従わせたりもした。しかしいつまでもそんな指導をしていたって自分自身が楽しくない。進学校で芸術を教える意味を自分自身に問い直した。

「教科書通りにやったってここの生徒は聞きませんから、彼らのニーズに合うようにできるだけ工夫しました。たとえばうちの生徒たちは男子でも3分の1以上が小学校からピアノを習っています。ですから美術にこだわらず、ピアノを弾かせてあげてもいいと考えました。書道も同じです。それでなんとか根回しして、美術、音楽、書道の3科目までは増やしました。何せ弱小教科ですから(笑)」

中学では美術、音楽、技術をそれぞれ履修することになっているが、苦手なことをあれもこれも中途半端にやらせるのでは大した達成感は得られない。そこでこれらを統合して、中学は美術、音楽、技術それぞれの要素を含みながら中2から高1の3年間にわたって1つのことを続けられるようにした。しかも比較的興味がもてる分野に特定し、少人数制で週3時間習えば、誰でもそれなりのレベルの作品がつくれるようになるはずと考えて、冒頭の6つのコースを用意した。

「現在の学校における芸術教育では、約8割が惨敗していきます。だって、大人に聞くとだいたい8割が美術が苦手だったと言うでしょう。芸術の才覚なんて誰にでもあるのに、中高時代にそれに気づくところまで届かずに、『あ、私は芸術が苦手だ』と自分にダメ出しをして終わってしまうということです。ですから、自分にダメ出しをしないレベルまでは引き上げることを目的にしました。そうすれば自分の子どもにダメ出ししないひとにはなるだろうと(笑)」

日本の学校教育の良くない点として、自己肯定感が下がりやすいことがよく挙げられる。1日は24時間しかないし、子どもが学校で学べる時間はせいぜい1日6時間なのに、あれもこれもとさまざまなメニューを詰め込むからすべてがおざなりになり、結局子どもたちの心に「あれもダメ、これもダメ」という印象だけを残してしまうという指摘である。しかもその負の影響が、子どもの世代にも伝播(でんぱ)していることまでを、江上さんは視野に入れている。

「長くここにいますと、教え子の子どもを教えることもありますから(笑)」

進学校において答えのない世界を教える

江上さん自身は主に絵画を教えている。画の描き方だけでなく、きちんと「見る」ことを教える。

「ギリシャ時代から科学の基本は観察力です。でもいまの子どもたちはきちんと見る習慣がついていません。『きちんと見ることができないと、アンタもきちんと見てもらえないよ』と、よく伝えています。『自分が見ないと、ひとからも見てもらえない。それを文句言ったってしょうがないでしょ』と」

音楽であればきちんと「聞く」ことになる。広い意味で言えば世の中を「感じる」ことの大切さを、芸術を通じて伝えているということ。芸術というのはただ得意なひとがたしなむものではなくて、答えが出ない世界において何かを感じとる感性を磨く営みであるというのが江上さんの考えだ。

「うちは進学校ですから、答えのある方向にばかり生徒の意識が向いてしまう傾向があるのですが、私がいちばん強調しているのは、『芸術に答えはない』ということです。物事には答えがあると勘違いしているから、答えがわからないとイライラしてくるんです。この学校にいたときから優秀で、大手企業でも順調に出世している卒業生から切実な相談を受けたこともあります。絶対的な答えがある世界で君臨してきてしまったがために、失敗が怖いんです」

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世の中はわからないのが当たり前