エンタメ!

東京ふしぎ探検隊

ジュリアナがアップルの広告拠点に バブル跡を歩く

2012/4/6

■空間プロデューサー松井雅美氏、当時を語る

運河の向こう岸にかつて「インクスティック芝浦」や「タンゴ」があった(東京・芝浦)

ゴールド周辺は1980年代半ばから90年代前半にかけ、ウオーターフロントと呼ばれて全国にブームを巻き起こした。その火付け役となったのが、1986年(昭和61年)にオープンした巨大ライブハウス「インクスティック芝浦ファクトリー(インク)」だ。仕掛け人の松井雅美氏に話を聞いた。

松井雅美氏といえば、1980年代から90年代にかけて「空間プロデューサー」として活躍した人物。1981年(昭和56年)には西麻布の「レッドシューズ」でカフェバーブームを起こすなど当時のトレンドメーカーだった。

「最初に芝浦を訪れたとき、この地には人を引きつけるものがある、と直感的に思いました。そのころニューヨークで広がっていたロフト文化をウオーターフロントのイメージとうまく結びつけ、ファッション性を高めていけばうまくいく、と考えたのです。その結晶が、『インク』とその隣に同時にオープンしたスペイン料理店『タンゴ』でした」

東京・芝浦にあったレストラン「タンゴ」。隣に見えるのはインクスティック芝浦(1980年代後半に撮影、松井雅美氏提供)

インクは海運会社の倉庫を改造したイベントスペースで、オープン初日に5000人を集めるなど絶大な人気を博した。タンゴも松井氏がパリから連れてきたフランス人スタッフや運河沿いのテラス席などが話題となった。タンゴの隣にできた「ベニス」というフレンチレストランもにぎわった。

芝浦の成功を受けて、全国各地で「ウオーターフロント」ブームが巻き起こる。東京では竹芝や天王洲、有明などが注目され、横浜のみなとみらいや千葉の幕張などにもブームは広がった。

■インクスティック芝浦、閉店の真相

しかし、インクはわずか3年で閉店してしまう。不人気だったわけではない。最終日となった1989年(平成元年)12月31日には約1000人を集めるなど惜しまれての閉店だった。松井氏は語る。

「実は、閉店は最初から決まっていました。開店する際、老朽化した木造の倉庫をライブハウスにすることをなかなか許可してもらえず、仕方なく『3年限定』とすることで認めてもらったのです」

大勢の若者でにぎわうインクスティック芝浦。右にステージが見える(1987年8月ごろ撮影)

1990年(平成2年)、インクが入っていた建物は取り壊され、跡地には「オーバー2218」というディスコができた。2階には中華料理「ユアン」が入った。インクと同時にオープンした「タンゴ」も閉店し、竹芝に移転。タンゴは改装して「リド」というフランス料理店になった。

華やかだった芝浦運河沿いは今、ひっそりとしている。かつてインクがあった場所は駐車場となっていた。タンゴ跡地には写真スタジオがある。その門構えはなんとなくタンゴに似ているが、敷地を管理する海運会社に聞いても当時の建物と同じかどうかは分からなかった。

エンタメ! 新着記事

ALL CHANNEL