【写真】裏読みWAVE

デビッド・ボウイが家族で遊びに 父・寛斎の思い出

(インタビュー後編)

昨年7月、世界に惜しまれて急性骨髄性白血病で亡くなったファッションデザイナー兼イベントプロデューサーの山本寛斎さん(享年76)は家族思いだったことでも知られる。前回に続き、次女で女優の山本未來さん(46)に幼少時代からの父・寛斎さんの思い出や子育て論、世界的ロックスター、デビッド・ボウイとの家族ぐるみのつき合いなどについて語ってもらった。本編はこちら
山本寛斎さんとデビッド・ボウイ(右)は家族ぐるみで交流を続けた(撮影は鋤田正義さん)
モルディブでヤシの木にまたがる山本未來さんと寛斎さん(1985年)
ヒロインとして出演した香港映画「WHO AM I?」(ジャッキー・チェン監督・主演、1998年製作)のロケ先で(アフリカ)

父・山本寛斎、最後の言葉 重なった親子の「未来」

昨年7月21日に急性骨髄性白血病のために76歳で天国に旅立った山本寛斎さん。次女で女優の山本未來さん(46)が、世界的なファッションデザイナー兼イベントプロデューサーとして活躍してきた父親の生きざまや闘病生活、貴重な最後の言葉などについて単独インタビューで振り返ってくれた。前半・後半に分けて紹介する。
【本編記事】父・山本寛斎、最後の言葉 重なった親子の「未来」はこちら
1歳前後の山本未來さん(左)と寛斎さん。右は長女(東京の自宅で)
北極圏に立つ山本寛斎さん(2019年3月、左は同行した冒険家の荻田泰永さん)
「女優としての個性」を持つようにと山本寛斎さんが未來さん宛てに書いた色紙(女優デビューした頃)
■山本寛斎、D・ボウイとの共演を辞退 「戦メリ」秘話
世界的なファッションデザイナーでイベントプロデューサーとしても活躍してきた山本寛斎さんが7月21日、急性骨髄性白血病のために76歳で死去した。自分や他人を鼓舞する元気の源となったのは、創造意欲や自己表現への燃えるような渇望だった。壮絶で破天荒な人生の軌跡や意外な有名人との出会いなどの秘話を過去のインタビューから抜粋して紹介する。
【本編記事】山本寛斎、D・ボウイとの共演を辞退 「戦メリ」秘話はこちら
山本寛斎さん(左)と母と2人の弟の記念写真(母と別れる前に横浜・上大岡の写真館で撮影)
若手デザイナー時代の山本寛斎さん(1970年代、アトリエで)
蛇革で作ったジャケットやパンツなどを身にまとい、ロンドンの街中を歩き回った(1969年)
デビッド・ボウイ(左)とは舞台衣装を作成して以来、親交を温めた(1973年、撮影は鋤田正義さん)
75歳の誕生日に取材に応じた山本寛斎さん(2019年2月8日、事務所本社で)
次のページ
アラン・ドロン、ドヌーブ… 高田賢三の名優秘話
エンタメ!連載記事一覧