昨年7月21日に急性骨髄性白血病のために76歳で天国に旅立った山本寛斎さん。次女で女優の山本未來さん(46)が、世界的なファッションデザイナー兼イベントプロデューサーとして活躍してきた父親の生きざまや闘病生活、貴重な最後の言葉などについて単独インタビューで振り返ってくれた。前半・後半に分けて紹介する。
寛斎さんの病気が発覚したのは昨年2月初め。「父の名声や威光に頼らず、自分の力を試してみたい」とファッション界には背を向け、10代の頃から女優の道を突き進んできた未來さんが、父が立ち上げたデザイン企画会社「寛斎スーパースタジオ」(東京)にプロデューサーとして入社した直後の出来事だったという。
距離を置いてきた父の会社に入社、直後に届いた「運命の知らせ」
――仕事面で父・寛斎さんと距離を置いてきたのに、昨年2月、どうして「寛斎スーパースタジオ」に入社したんですか。
「自分の人生を見つめ直したとき、女優業以外で何か新しい仕事に挑戦できないかと考えるようになったからです。小学校に通う一人息子の子育てにも手がかからなくなってきたし、女優を続けながら、5年くらいでものにでき、自分の自信にもつながるような新しい仕事はないかと探し始めていました。自然な気持ちの変化ですね。父にそんな話をしたら、その話が『寛斎スーパースタジオ』の共同創設者で社長を務める父の実弟(山本斎彦さん)に伝わり、会社と1年ほど協議を重ねたうえで、プロデューサーとして入社することを正式に決めました」
――ところが、その直後に寛斎さんの病気が見つかります。
「本当に運命のイタズラというか、不思議な巡り合わせですね……。私が寛斎スーパースタジオに入社したのが2020年2月1日。その5日後(2月6日)に父から携帯電話に連絡が入り、『健康診断で急きょ、再検査が必要になった』と伝えられます。実は2月8日は父の76歳の誕生日。私は父の好物のホルモン焼きで誕生祝いをしようと焼肉屋さんに予約を入れていたんです」
「『誕生会の後じゃだめなの?』と父に聞くと、『いや、早急に入院しないといけないらしい』という返事。予想外に事態が差し迫っていたようです。父は北極圏に冒険(2019年)に出かけるくらい元気だったし、本人にもそれほど自覚症状がなかったようなので戸惑いました。でも精密検査の結果、急性骨髄性白血病だと正式に診断され、そのまま抗がん剤治療に入ります」