松下がシンガーソングライターを志したのは、10代の時にたまたま見た映画『天使にラブ・ソングを2』がきっかけだという。この話は、彼のファンの間では知られているが、画家である母の背中を見て育ち、自らもアートの道を進もうと心に決めていた少年が一夜にして心変わりしたというのだから、よほどの衝撃だったに違いない。

「芸術の道を志していましたが、音楽はずっと身近にありましたね。中学ではダンスをやっていたので、R&B/ヒップホップは特によく聴いていました。ビヨンセがいたデスティニーズ・チャイルドやアッシャーがすごく盛り上がっていたし、そのあと少ししてクリス・ブラウンもデビューして。今、レジェンドと呼ばれる人たちがシーンを席捲していたときで、音楽的に影響を受けました。

それとは別に、親が好きだった玉置浩二さんやサザンオールスターズなどのJ‐POPや、スティングやエリック・クラプトンなど長く愛される洋楽も家ではよく流れていました。それら全てが僕の音楽的な素地を作ったと思っています。

そういう環境で育ったので、ゴスペル音楽をメインにした『天使にラブ・ソングを2』を見たことも、17歳の僕にとっては特別なことではなかったんですが、映画を見る前の日までは、美術の仕事がしたくてその夢だけを追いかけていたのに、スクリーンで楽し気に歌っている人たちを見たら感動して、不覚にも涙が出ました。そして、『こんなふうに気持ちよく歌えたら楽しいだろうな』『自分もやってみたい!』と強く思ってしまった。それまで人前で歌ったことはなかったし、楽器も弾けないのに、歌手になるんだと心に決めてしまいました(笑)。

翌日、母に思いを伝えたら、『いきなりそんなことを言うなんて、何があったの?』とすごく驚かれました。当然ですよね。きっと母は、僕が同じ道を選んだことを密かに喜んでいたとも思うので、『なりたいと言ってなれる職業ではない』『考え直したらどうか』と何度も衝突しました。

それでも、僕の意思は固く、高校卒業後は音楽の専門学校に通うことにしました。専門学校に通う前までは、歌手になるという夢は僕だけのもので、1人でいろいろと想像を巡らせているだけでした。でも、学校には同じ目標を持つ人、音楽を共有し夢を語り合える仲間がたくさんいた。

今思うと、それが僕にとってすごく大切なことだったんだなと。仲間と一緒に夜な夜な練習したり、路上ライブではアカペラで歌ったりしました。友達と一緒に深夜のクラブに出演したこともありましたね(笑)。そうした経験の全てが大切な財産ですし、なにより『今、僕は歌っているんだ!』という実感が得られた。とにかく楽しかったですね」

後編「この気持ちを曲で残せたらとの思い途切れず」でも、引き続き音楽への思いを聞く。

『つよがり』
 耳に心地よいスムースなシティポップをベースに、オリエンタルな音がスパイスになっているスタイリッシュな表題曲『つよがり』。作詞を手掛けたプロデューサーの松尾潔は、不器用でも誠実さを貫く歌の中の主人公は、松下に重ねたものだと言う。作曲は、東方神起や平井堅、三浦大知などに楽曲やアレンジを提供し、松尾とも関わりが深いMaestro-Tこと豊島吉宏。愛する人への断ち切れない想いに苦しみながらも、別れを決意する男性の心境の変化を歌声で鮮やかに表現している。『つよがり』は配信中。3月に開催した初のライブツアー映像などを収録したDVDが付く初回限定盤2600円、CDのみの通常盤1400円(ともに税込/ビクターエンタテインメント)。

(ライター 橘川有子)

[日経エンタテインメント! 2021年9月号の記事を再構成]

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