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ヒトの遺伝情報はゲノムを構成する塩基対で言えば、全部で30億くらいある。そのうち、1000万カ所くらいは、個々人によって違っている箇所があり、一塩基多型、SNP(スニップ)と呼ばれる。髪や目や肌の色のようにまさに目に見える特徴をはじめ、ひとことでは言い表しにくい「体質」などの個性を作り出しているのがSNPだ。
前回紹介した松田さんの研究で、食道がんの人とそうでない人との間でこのSNPを比較し、アルコールの分解にかかわる2つの酵素の遺伝子のSNPが、食道がんにかかわっていることが分かった。この2つのSNPが特定のタイプで、飲酒習慣や喫煙習慣によるリスクが重なると、最大で189倍も食道がんになりやすかったという衝撃の結果も導き出された。
27万人という膨大な人たちのDNAと、それらを提供した個々の人々の詳細な臨床情報をデータベース化しているバイオバンク・ジャパンがあげた初期の成果だ。今回は、もう少し、この方向の研究をたどった上で、「その先」を概観するところまで行ければと思う。
そのためには、まず様々な人のゲノムを集めたバイオバンクについて、もうちょっと広い視野で理解するところから始めたい。
「まず、バイオバンク・ジャパンのような疾病バイオバンクというのは、病気の人から提供していただいた血液からDNAを精製して臨床情報と一緒に保存しているものです。同じタイプのものとしては、国内には、6つの国立高度専門医療研究センターが運営しているナショナルセンター・バイオバンクネットワークがあります。一方で、一般集団を対象にしたものもあって、国内では東日本大震災の後に作られた東北メディカル・メガバンク機構が代表的です。これら3つを指して、国内の三大バイオバンクということがあります。さらに、がんの場合は、がん細胞のゲノム、いわゆるがんゲノムを研究することも必要なので、がん細胞のDNAを集めたバイオバンクもあります。例えば、国立がん研究センターが中心に組織している日本臨床腫瘍研究グループが、がんの種類ごとに収集を行っています。その一部は、バイオバンク・ジャパンで保管を受け入れています」
一般集団を対象にした東北メディカル・メガバンクは、その時点で病気ではない人が多いので、長期間、集団を追いかけるいわゆる前向きのコホート研究(研究デザインについては「キャノーラ油の起源と社会貢献 栄養疫学の研究とは」の記事を参照)を前提にしている。それに対して、バイオバンク・ジャパンの場合は、すでに多くの病気の人のDNAが集まっているので、病気の人と対照群を比べる症例対照研究を行うことができる。また、各症例の「その後」も追跡しているので、疾病バイオバンク登録者をコホートに見立てた変則的なコホート研究もできる。
松田さんのグループは、数十万箇所のSNPを全ゲノムにわたって網羅的に比較する解析を行って数多くの成果をあげており、その中でも、最初期、かつ、際立った事例が、前回の食道がんの研究だった。
以降、多くの成果があがっているので、いくつか紹介する。研究の方向性、雰囲気が伝えられればと思う。
まず肝がんと、日本に多いC型肝炎ウイルス(HCV)への感染について。
「日本では、肝がんの約70%はHCV感染が原因だと言われています。HCVに感染している人の多くは慢性肝炎や肝硬変などの肝機能障害を持っており、治療をせずに放置すれば、多くの人が感染後20~40年で肝がんを発症します。しかし、症状が軽いまま安定している患者さんたちもたくさんいるんです。では、その個人間の違いを決めている要因はなにか、ということです」
もしも、それがSNPによって決定されるものなら(特定のSNPによって大きく違うものなら)、松田さんたちの手法が大いに役立つ。そして、その明らかになったことから、治療法への手がかりもつかめるかもしれない。
「HCV陽性の肝がん、およそ700例と、HCVに感染していない対照群2900例を用いて解析を行ってSNPを絞り込み、さらに同じくらいの数の別の集団で追試しました。結果、HCV陽性で肝がんになった人たちは、MICAという遺伝子が発現しにくいタイプが多いことが分かりました」