タクシーの謎……なぜ大手4社は「大日本帝国」?編集委員 小林明

「大日本帝国」の謎の核心に迫る前に、日本でタクシーが誕生してからの業界の歴史について簡単に振り返っておこう。

日本で最初に法人タクシーが誕生したのは1912年(大正元年)のこと。東京・有楽町の数寄屋橋際に設立された「タクシー自働車株式会社」が、料金メーターを装着したT型フォード6台で営業を始めたのがその最初だとされる。当時、自動車がまだ珍しかったこともあり、タクシーはかなりの人気を博していたようだ。

だが第1次世界大戦が終わり、不景気が到来した1921年(大正10年)ごろになると、不景気対策として車体を黄色に塗った「流し」のタクシーが登場する。それまでの主体は「車庫待ち営業」だった。1927年(昭和2年)ごろになると、市内1円均一という「円タク」が姿を見せる。料金が70種類以上とバラバラで客からの苦情が絶えなかったためだ。

「タクシーは戦力」戦争末期に集約命令

タクシーの営業は、運転免許さえあれば誰でもできる届け出制が基本だった。このため、戦争に伴う不景気にもかかわらず、地方から上京した労働者が大量に流入してタクシー台数が急増。値引き競争や客の奪い合いが激しさを増し、悪質業者が横行した。やがて、戦争の長期化で物資が滞るようになると、個人タクシーの営業が難しくなる。

「大日本帝国」の謎が生まれたきっかけは1944年(昭和19年)11月4日のこと。

太平洋戦争の戦況が悪化するなかで、警視庁が都内のハイヤー・タクシー会社の代表を集め、陸海軍の将校の立ち会いのもとで「輸送力は重要な戦力であるから、都内4500台のハイヤー・タクシーを4社に集約し、1社1000台以上を確保するように一日も早く実現せよ」と命令を下したのだ。当時、都内には56社の事業者が営業していた。

軍・政府による戦意高揚の思惑も

これを受ける形で翌年の1月に大和自動車交通(16社合併)と帝都自動車交通(9社合併)、3月に国際自動車(12社合併)、12月に日本交通が相次いで誕生。

こうして大手4社体制が形成されたというわけ。

日本は本土決戦に備え、「一億玉砕」の覚悟で太平洋戦争に総力を注ぎ込んでいた。それだけに、戦意高揚のために「大日本帝国」という名前を採用したのではないかと考えられている。

エンタメ!連載記事一覧
エンタメ!連載記事一覧