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大失敗した「ドキドキギャル」の企画書

大失敗した「ドキドキギャル」の企画書

2018年6月にバンダイナムコホールディングスの会長を退任した石川祝男氏は、文化の異なるバンダイとナムコの経営統合に誰よりも前向きで、両社の文化融合に尽力しました。石川氏が社員に伝え続けた「元気よく暴走しなさい」というメッセージでした。その石川氏の「仕事人秘録」。第7回では開発部門で大ヒット企画を生む前の時期を回顧します。

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配属されたゲーム開発の部署に漂う停滞ムード

1986年にゲーム開発の部署に異動しました。任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売され、家庭用ゲームが人気でした。

その家庭用ゲームを開発するのは花形の「開発一部」です。私はゲームセンターに置くアーケードゲーム機を作る「開発二部」に配属されました。

私は企画担当で、企画チームは4人でしたが、なかなかアイデアを出せずにいました。設計担当も技術雑誌を読むふりをする毎日でした。ヒットがないと部が消滅すると危機感を覚える中で最初に開発したのがメダルゲームの「カーニバル」です。昔からありましたが、(1)ルーレットを3重にする(2)特定の数字に止まるとボーナスが出る(3)パックマンのキャラクターを使用する――といった工夫を凝らしました。7つの続編が出るヒットになりました。

社長を謝らせたヒット企画

ナムコには抜群にうまい音源をつくる人や優秀なプログラマー、ゲーム設計士など多くの優れた技術者がいます。気難しい人が多かったですが、気持ちよく仕事をしてもらうための役回りが身に付きました。

当時の中村雅哉社長に反対された企画を大ヒットに育てたこともありました。球体のゲーム機に入ったお菓子をクレーンですくい取る「スウィートランド」です。「絶対売れない」という中村社長に、私は生意気に「売れたら謝ってくれますか」と企画を押し通しました。ところが商品化されるとこれが大ヒット。中村社長から3年後ぐらいに「おまえの言った通りだった」と言われました。

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