ロボ開発に熱中、ハプニング続出 喜ぶ子供の姿を心に
バンダイナムコホールディングス 元会長 石川祝男氏(6)

ロボット開発の部署に異動した1981年当時の石川氏
2018年6月にバンダイナムコホールディングスの会長を退任した石川祝男氏は、文化の異なるバンダイとナムコの経営統合に誰よりも前向きで、両社の文化融合に尽力しました。石川氏が社員に伝え続けた「元気よく暴走しなさい」というメッセージでした。その石川氏の「仕事人秘録」。第6回では球速測定器やロボットの開発に携わった経験を振り返ります。
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球速測定器「ピッチイン」の開発チームに
開発者だった鈴木理司さんが社長に直談判して立ち上げたプロジェクトでした。各部署から人を集めるため、営業にも話が回って来ました。営業も人手が足りず、「新人に毛が生えた石川で」と有無を言わさず私の参加が決まりました。チームは5人、平均年齢は24歳です。やりがいを感じました。
文系出身の私も、触れたことがない工具を使って、ネットの張り方やはんだ付け、修理もマスターしました。開発をやりたいという強い動機づけになりました。
当時はプロ野球でも球速が話題でした。ピッチインはほぼ値引きせず、現金で飛ぶように売れました。ゲームセンターやバッティングセンターでは、置くだけで1日10万円を売り上げた施設もあり、1000台以上は売れました。
結婚という大きな転機
入社してから知り合った女性と交際していました。彼女が東北地方にいる友人に会いに行くのを見送るため、上野駅にいました。夜行列車のドアが閉まる直前に「結婚しよう」と決めました。昔から場面の状況を大事にしてきました。仕事でも今は怒りたくないけど怒らないといけない場面だとか、ここは本気を出してやる局面だとか、今こそ社長に直談判しに行こうとか。それと同じですね。
1981年にロボット開発の部署に異動しました。その部署では企画担当として20種類のロボットを開発しましたが、ハプニングの連続でした。