日高屋は「来来軒」だった 夜客つかんで埼玉で成長ハイデイ日高会長 神田正氏(6)

経営計画発表会で語る神田氏
経営計画発表会で語る神田氏

ラーメン店「日高屋」の創業者、神田正・ハイデイ日高会長の「仕事人秘録」。まだ「日高屋」と名乗る前の「来来軒」時代に10店舗まで業容が拡大したころを振り返ります。

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西川口(埼玉県川口市)前に出店する頃から、経営の形を整える努力が始まった。

保証金や出店費用がかさんで、銀行と相談することが増えました。蕨(埼玉県蕨市)に出店するあたりから、京浜東北線のぜんぶの駅前に「来来軒」の看板を掛ける、という夢をあちこちで語っていました。弟たちとの約束でもありましたから。銀行でもそんな話をすると、融資担当者が「今のままでは貸しづらいから、ちゃんと帳簿をつけて」と、税理士を紹介してくれました。

その税理士は経営コンサルティングのようなことも好きで、いろいろと助言してくれました。その中の一つが「経営計画発表会」でした。

初回は1983年2月、大宮(現さいたま市大宮区)のホテルの宴会場を借りて開きました。従業員とその家族、銀行の担当者、食材の取引先など三十数人を招きました。当時はまだ4店舗で年間売上高は3億円くらいでした。

最初に語った経営ビジョンは確か、売上高5億円、2年に1店の駅前出店、従業員の賃上げと幸福の実現、などという、いま思えばささやかなものでした。それでも、みんなの前でしゃべることによって、もしできなかったら大変だ、と自分へのプレッシャーになりました。そもそも3店舗しかないラーメン屋が語るビジョンを信じてもらえたかはわかりませんが、社員の何人かはほんとに実現できる、と思ってくれたみたいです。この発表会は上場企業となったいまも続けています。

このとき世話になった税理士からは経営者の勉強会なども紹介してもらいました。いまも続く勉強会に「CEC経営塾」があります。そこで知り合い、ほぼ30年来の付き合いとなった内田徳男さん(ユー・コーポレーション代表取締役)には社外取締役をお願いしていて、生き方やものの見方など大所高所の助言をいただいています。

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