原点はオーダーメードのような既製品

――福島さんはリングヂャケットの二代目。創業者の父親は洋服好きが高じて会社を立ち上げたそうですね。

「祖父、父のどちらも洋服好きでした。祖父は夏用に背抜き(背中部分の裏地を省いたもの)のスリーピースを作るくらい、服にこだわりがあったようです。父は生命保険会社に勤めていたのですが、祖父がテーラーで服を作っていたのを見て、メーカーを立ち上げようと思い立ったようです。最初は外部工場に生産を委託していたのですが、良い服を作るには工場を管理することが大切だと考え、テーラー職人を集めて工場を設立しました。もとより既製服の工場ではなかったので、生産効率はすごく悪い。リングヂャケットの服はオーダーメードのような既製品といわれる原点はそこにあります」

「父が着ていたのはネイビーグレーのストライプのスーツなどベーシックな物が多かったですね。アーサーハリソンという英国のメーカーのフランネル(生地)が特に好きだったイメージが強いです」

欧米、アジアでリングヂャケットの認知度は年々上がり、日本と海外の売上比率は半々。「欧米の一流ブランドに負けない自信があります」

――自分の工場で好きな服を作るという夢をかなえたのですね。息子である福島さんに着せる服にもこだわりがありましたか。

「小学校の時はVAN(ヴァンヂャケット)の服を着せられていました。実は父はVAN創業者の石津謙介さんと交流があり、社名の名付け親も石津さんです。東京と大阪にあった石津さんプロデュースの店に、OEM(相手先ブランドによる生産)で商品を卸していたこともありました」

「中学生では根っからのアイビー少年。東京のVANショップやアメ横に服を買いに行っていました。普通の黒いズボンをはくのが嫌で、黒のコットンパンツにボタンダウンのシャツを着て学校に行き、先生に怒られた記憶があります。人とは違う何かを着たいという気持ちとアイビーへの強い憧れがあったんですね」

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