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あるときはフジテレビの情報番組「めざまし8」などテレビのニュースコメンテーター、あるときは長崎県五島列島で地方創生プランナー、あるときはメディアプロデューサー――。大学卒業後は専業主婦だった鈴木円香さんはリスキリングを繰り返し、書籍編集者、イベント企画、新規事業アドバイザーと、どんどん仕事の幅を広げてきました。

今年40歳を迎える鈴木さんが最近始めたリスキリングはなんと「プログラミング」。しかも理系学生から教わっているのだとか。鈴木さんが学生メンターと二人三脚でアプリ開発に格闘する様子を、来週リニューアルするNIKKEIリスキリングで「アラフォーが学生から学ぶプログラミング日記」という新連載として、楽しく、リアルに描いていきます。

「ど文系」を自称する鈴木さんが、なぜプログラミングに挑んでいるのか。その原点は、越境体験を繰り返してきた独特のキャリア人生があります。本記事では連載開始前に、鈴木さんがどんなキャリアを歩んできた人なのかを紹介します。

専業主婦を脱して段ボール箱3つで東京へ

――鈴木さんのこれまでのキャリアを教えてください。

今年(2023年)で40歳を迎えますが、社会人になったのは遅くて、26歳の時でした。

実は私、学生時代に就職活動をちゃんとやっていないんです。京都大学の修士課程に在籍していた時に結婚して、そのまま京都で専業主婦生活に突入し、新卒マーケットから完全にあぶれてしまいました。当時、夫はテレビ局の報道記者として多忙な日々を送っていて、それを支える生活をしていました。

でも、やはり専業主婦的な生活を数年送るうちに「社会とつながっていたいな」という気持ちが膨らんできて、「本が好きだし、文章を書くのも得意だから、編集者ならやれるかな」と京都の出版社にいくつか応募してみたのですが、全部ダメで。結局、知人のツテをたどって26歳で朝日新聞出版のビジネス書の編集部に嘱託社員として入りました。

編集長から「来月から来れる?」と聞かれたので、とりあえず「はい!」と即答。段ボール箱3つに衣類だけ詰めて東京の夫の実家にひとり引っ越しました。月曜の朝イチで京都から築地に通勤し、金曜の夜にまた新幹線で京都に戻るという生活でした。

――書籍編集者の仕事を実際にやってみてどう感じましたか。

私が働き始めたのは2000年代後半ですが、その当時でさえ、紙のゲラ(誤脱のチェックなどに使う校正刷りのこと)に3色ボールペンで修正を書き込んだり、それを高額なバイク便で運んだりしている様子に、20代後半の感覚として「嘘でしょ? 今時、まだこんなにアナログなことやってるの?」と驚愕(きょうがく)しました。

今はかなり改革の機運が高まっていると思いますが、出版ビジネス全体に旧態依然とした感じがありました。売り上げデータの管理やその分析、初版部数や価格の決定、出版社・取次・書店を軸としたビジネスモデルなどなど、どの部分を切り取っても「これでは次の時代は生き残れないな」と、出版社で働き始めて最初の3カ月で痛感しました。

実は「書籍編集者」という仕事には、時代が変化しても役立ち続ける能力が求められるのですが、会社から課される目の前の仕事をやり続けるだけでは、いずれ「伝統芸能師」になってしまうだろうという危機感が強くありました。

「潰しが利かない仕事」から卒業するコツ

――最近は人工知能(AI)など技術進化もあって、「潰しが利かない仕事」であることに危機感を抱えているビジネスパーソンは多いと思います。

そうですよね。書籍編集者に限らず、自分の仕事が「潰しが利かない」と感じている人は結構多いと思います。でも、実はそうでもないんですよね。私自身、それに気づいたのは2社目の職場であるダイヤモンド社を辞め、7年前に独立してからですが、潰しが利かないと思われる仕事をしていても、案外汎用性の高い能力は身についているものなんです。

よく「キャリアを棚卸ししよう」とか「スキルではなく、コンピテンシーで考えよう」と言われますが、実際にはなかなか難しい。自分で考えてもわからない(笑)。私の場合は、「新しい仕事」がそれを明確に教えてくれました。そして、自分の中にどんな能力があるかを教えてくれるだけでなく、それに新たな要素を付加してアップデートする機会(=リスキリング)も与えてくれたと思っています。

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