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歴史博士

轍のくぼみが語る歩車分離の近世史車石(京津国道改良工事記念碑、京都市) 古きを歩けば(25)

2012/4/10

歴史博士

京都市山科区日ノ岡に不思議な記念碑がある。碑文は1933年竣工の旧京津国道改良工事の様子を伝える一方、基壇は江戸時代の東海道の様子を物語る。実は基壇の石は元は東海道の牛車(牛に引かせる荷車)の専用車線に敷かれていた「車石(くるまいし)」だ。轍(わだち)のU字型のくぼみがあるのがその証拠で、明治の道路改良で不用になった車石の再利用という。

旧東海道に立つ石碑の基壇にされた車石。大津から京都に米を運んだ牛車の轍が残る(京都市山科区)

人馬用と分離、牛車用は一段低く

京都と東日本を結ぶ要衝の逢坂の関記念公園に復元された車道(大津市)

江戸時代の東海道の京都と大津間約12キロは、あまり知られていないが実は道路が人馬用と牛車用に分離されていた。牛車専用道は古文書や古図に「車道(くるまみち)」と記され、京都と大津間で車道を記述で確認できる最初は元禄時代の1695年。1805年には車道のほぼ全線に牛車の両輪幅に合わせた車石が鉄道のレールのように敷かれた。おおむね人馬の道に沿う形で一段低くして設けられ、両側が民家で詰まっている区間は人馬の道の中央に通していた。

市民有志の「車石・車道研究会」(事務局・京都市)の事務局長・久保孝さんは、「専用道を設けた理由は歩車分離で事故を減らすため。車石敷設はぬかるみに車輪をとられて牛車が難渋しないための対策だった」と話す。面白いのは車道が河川と交差する区間で、古図では橋の両側で人馬道からそれて川に入るように記されている。橋はあくまで人馬用。橋を傷めないために牛車は川の中を通させたのだ。

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