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歴史博士

2012/3/27

歴史博士

遺跡の傍らにある同市埋蔵文化財センターには古代史博物館が併設され、謎を解くカギとされる軒丸瓦などが展示してある。

同市埋蔵文化財センターの岡一彦さんは「遺構の保存状態が良く、周辺を含めて全容がほぼ解明できました。こうした例は古代寺院跡では全国でも珍しく、貴重です」と話す。寺の廃絶後、伽藍の中央だった場所に神社が鎮座しており、その境内だったことが遺跡を守ったという。

寺の造営の経緯は記録が無く不明。当時の行政区分では「日根郡呼唹(おお)郷」にあたるが、周囲の郷はどんな豪族がいたのか文献記録でほぼ判明している中で、呼唹郷だけは分からず、ぽっかり空白となっていることも謎を深めている。


四天王寺と同じ木型の「蓮華文」

伽藍の復元模型。金堂と塔が東西に並ぶ、法隆寺式と呼ばれる配置だった

ただ重要な手掛かりがある。出土した軒丸瓦だ。ハスの花をデザインした「単弁蓮華(れんげ)文」が刻まれており、大阪市の四天王寺や、奈良県桜井市の吉備池廃寺で見つかった瓦と同じ木型で作製されたものだった。四天王寺は聖徳太子の発願で建立されたことで有名だが、宮都が第1次難波宮に置かれていた7世紀中期には特に重視されて、官寺と同等に扱われていた。また吉備池廃寺は、639年に舒明天皇の発願で建立が始まった初の勅願寺、百済大寺の跡とする説が有力だ。

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