泉州沖を望む大阪府泉南市の小高い丘の上に7世紀中期、こつぜんと姿を現した寺があった。今は海会寺(かいえじ)と呼ばれるこの寺跡に関する文献は残っていないが、律令国家の構築が進む中、天皇のお膝元「畿内」の境界の守りを固めるため配置されたとの見方が出ている。
■法隆寺と同じ東西に金堂・塔
寺跡は現在では公園となり、塔の基壇や回廊の柱列などが復元されている。伽藍(がらん)は奈良県斑鳩町の法隆寺と同様、金堂と塔が東西に並ぶ。周囲を巡る回廊は東西、南北とも50~60メートルと、規模はコンパクトだ。だが推定で高さ9~10メートルもある相輪や同30センチの風鐸(たく)をはじめ、かつて寺を彩っていた出土品のきらびやかさを重ねると、当時の壮麗な姿が浮かび上がる。
1983~86年に発掘調査したところ、丘の尾根を削り、くぼ地に2メートルも土を盛って大がかりに平たん地を造成した跡が発見された。瓦窯跡や鍛冶工房跡といった、寺の造営に関わる遺構もあった。隣地では、寺の建立から少し遅れて8世紀初めに官衙(かんが=役所)風の大型建物が建てられていた。豪族居館の跡とみられている。