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歴史博士

2012/6/14

歴史博士

「ストレスをためない」大隈は先駆的

「健康」の考えを一般に紹介したのは慶応義塾を創設した福沢諭吉だ。明治初めに「学問のすすめ」で英語の「health」を健康と和訳。食い合わせや休養を中心に説いた江戸時代の養生法に代わって、積極的に運動を行い体の調子をよくすることを推奨した。続いて「明治20年代に富国強兵方針による欧米からの技術導入とともに最新の健康法も日本へ入ってきた」と伊藤教授は指摘する。

福沢自身の健康法は朝の散歩と米搗(つ)き。さらに中津藩士時代以来の居合抜きで体を鍛えた。かなり激しい運動を60代まで続けている。

一方、早稲田大学の創始者である大隈重信も独自の健康論を展開した。人間は生理学的に125歳まで生きられると「125歳寿命論」を唱え各地で講演している。しかし実際に日常実践していたのは地味で堅実だった。朝5時に起床。庭を1、2時間かけて散歩し午後9時には就寝するよう心掛けていたという。

早稲田大学文学学術院の真辺将之准教授は「激しい運動は避け、ストレスをため込まないのを良しとしていた」と指摘する。同時代のライバル政治家より一歩先をいく、ストレス解消優先の健康管理法が70歳代に入ってからの全盛期を可能にさせたといえる。1914年(大正3年)に76歳で第2次大隈内閣を組閣し、22年に83歳で死去するまで活躍した。

大隈は「怒らない」ことを基本としていたという。大正期のインタビューでは「しゃくに障る時は風呂に入る。当世の人のようにせっけんを用いないで昔風に大袋にぬかを入れてゴシゴシ身体を摩擦すると自然にかんしゃくがやわらいでくる」と説いている。「大隈は大風呂敷などと批評されることが多いが本人自身も楽天的であろうと努めていた」(真辺准教授)。一方、健康イコール衛生といった当時の考えにはあまりこだわらなかったとしている。

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