女子ラグビー「鉄人」トライ 故郷に明るいニュースを
震災10年・離れて今(1)岩手県 平野恵里子さん

トライゲッターのウイング(WTB)として鳴らす平野さんは、2020年11月にスペインに渡り、現地セビリアのクラブで強化に励んでいる。新型コロナウイルスの影響で、21年秋の予定が22年に延期されることになったワールドカップ(W杯)が当面のターゲットだ。出身地は大槌町の吉里吉里(きりきり)地区。砂浜歩きの音を表したというアイヌ語由来の名をもつ土地に生まれ、ラグビーの心と技は新日本製鉄釜石ラグビー部(1978~84年度日本一、釜石シーウェイブスの前身)ゆかりの隣まちで培った。
吉里吉里人は鯨山で初日の出
――「故郷の1枚」として釜石の大漁旗Tシャツを着た写真を提供していただきました。背景の山は。
「吉里吉里にある鯨山(くじらさん)です。スペイン出発前に撮影しました。毎年、初日の出を見に山頂に登る行事があって、小学生のころは家族で欠かさず参加していました。今でも帰ったときは、必ず父に海に連れていかれ、鯨山をバックに写真を撮るんです」
「リアス式海岸にある海と山にかこわれたまちで、子どもは中学校までずっと一緒に育ちますから、すごく絆が深いです。地元のお祭りや運動会では、みんな家族みたいに声をかけ合います」
――お父様がラグビー経験者で、釜石にあるラグビースクールに通われました。ラグビーのどこにひかれましたか。
「トライ、ですかね。小学校に入った当初は足が遅くて学校でもビリだったんですけど、ラグビーを始めたら2年生のときには足が速くなっていて。それでトライをとると周りの人が喜んでくれるのが楽しかった。男の子より速く走れたので、(相手をかわすように)抜きに行って、トライしていました」
――県立釜石高校の卒業式を終え、日本体育大学入学を控えていた2011年3月11日に震災が発生しました。当時はどこにいましたか。
「町外の山の斜面で、父の土木工事の手伝いをしていたんですけど、体験したことのないすごい地震で『これはやばい』と。作業を中止して、すぐに帰ろうということになりました。途中では大槌病院が火事で燃えているのを見ました。いったん津波が引いた後でしたが、海の近くを避けて、線路の上やトンネルの中を歩いて、吉里吉里に向かいました」
「まずひとり暮らしのおばあちゃんをさがしに行きました。がれきで家にはたどり着けなかったのですが、後で小学校に避難しているのが確認できました。自宅も見に行ったのですが、そこも流されて、がれきになっていました。家族は仕事で留守にしていて、ペットの犬だけがいたはずでした……。名前は『パンプ』。当時好きだった(音楽グループの)『DA PUMP』からもらいました」
――小学校の避難所生活を経て大学進学。故郷を離れてみて気づいたことは何かありますか。
「やっぱり吉里吉里が好きだなと感じましたし、日本代表になって地元に明るいニュースを届けたいなあとも思うようになりました。代表になることが自分だけの目標だったら諦めてもいいかなと思うんですけど、そうじゃなくなったので、つらいことがあっても、やってこれたのかなと思います」
「東京では吉里吉里といっても伝わらなかったのですが、釜石はラグビーで有名なまちとしてみんなが知っていて、すごい知名度だと思いました。日体大ラグビー部女子で優勝の目標を達成し、恩師の古賀千尋コーチ(当時)から『おまえは鉄人だ』と言われたときは(『北の鉄人』と呼ばれた新日鉄釜石ラグビー部の系譜につらなる)釜石の一員になれたのかなと思えてうれしかったです」
被災者にしかわからない気持ちがある
――上京後はあまり被災地のことにふれなかったそうですが、どんな気持ちでしたか。
「今でもなんていうか、あまり(周囲の空気を)暗くしたくないので……。震災で被災した人にしかわからない気持ちもあるかなと思っていますし、気を使われるのがイヤだなということもありました」
――念願のサクラフィフティーン(15人制女子日本代表の愛称)に選ばれ、出場した17年W杯では12チーム中11位。その後、オーストラリア、スペインにラグビー留学もしています。振り返ってみていかがですか。
「W杯ではふがいない試合をしてしまいました。初戦のフランス戦は、相手にすごく走られて、トライをたくさん取られました。向かってくる選手に強い心でタックルできなった。外国人ともっと戦って自分を強くすればチームに貢献できるかなと思ったのが、海外志向が強くなった理由です」

――現在、スペインではどんな生活を。
「週のうち3日は練習、土日のいずれかに試合がある生活です。午前9時から午後2時までスペイン語の授業を受けているので、練習はそれから。スペイン人の生活は夜型で、夜11時くらいに帰宅してからも歌っている人がいますが、あまりその生活リズムに慣れないように気をつけてはいます」

「まだまだ思ったように強くなれてはいません。今のままではW杯メンバーに入るのは難しいと思っているので、しっかり少ないチャンスを生かして、アピールできるようにしたいと思います」
――サクラフィフティーンのカラー、強みはどんなものでしょうか。
「(素早いパスの連続で)ボールを動かすラグビー。そして簡単にトライを与えない、粘るディフェンスです」
――長期的な希望は。
「岩手県に帰って、小さい子から大人まで、女子がラグビーを楽しめる環境をつくれたらいいなと思います。ラグビーは友達もたくさんできるし、人に体を当てるという普段なかなかない経験もできて、楽しいなと思う瞬間があります。ママになってもラグビーを続けている方もいます」
――ところで「恵里子」というお名前の由来は。
「『吉里吉里に恵みがありますように』と父がつけました。ちなみに姉は『吉里子(きりこ)』なんです」
(聞き手は天野豊文)
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