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W杯だ!ラグビーを語ろう

ピアノから指揮へ はじまりは雨中のスクラム 指揮者・小澤征爾さん

2019/2/19

中学時代に父・開作さんがライカのカメラを手放して購入したピアノの前で。ゴム素材の楕円球を手に「革のボールが見たいよ」
アジア初のラグビーワールドカップ(W杯)が9月20日~11月2日に日本で開かれる。インタビュー企画「W杯だ!ラグビーを語ろう」では、著名人に自分自身が思うラグビーの魅力を聞く。第1回は指揮者の小澤征爾さん(83)。

ラグビーがなかったら「世界のオザワ」はいなかったかもしれない。成城学園中学(東京・世田谷)でラグビーに夢中になった小澤さんは、試合中に両手人さし指を骨折し、ピアニストから指揮者の道に転じた。運命のケガを負ったのは、雨中のスクラムだったという。

ラグビー仲間たちと(ボールを抱えているのが小澤さん)

――小学生時代にピッチャーをやった野球少年が、どうしてラグビーに夢中になったのでしょうか。

「あのね、ボク、ラグビーなんて知らなかったんですよ。成城に入るまで。同級生に松尾勝吾というラグビーばっかりやってたのがいた。(のちに7年連続日本一となった)新日鉄釜石にいた松尾雄治さんのおじさん。ボクは割と体が強かったし、今よりもっと太ってたから、彼が『おまえはラグビーだ』って。ボクはピアニストになるつもりだったから、はじめは指が危なくない卓球部に入ったんだけど、実際はラグビーばっかりやった。もう無我夢中でしたね。松尾は彼が死ぬまで大親友。ボクはアメリカにいようが、どこにいようが、日本に帰ってくれば会ってました」

――なにより親友とやれることが楽しかったのでしょうか。

「そうでしょうね、今から考えると。ボクはスクラムを組むフロントで(背番号は)3番。永遠に3番ですよ。ひどいときは、組み合うプレーばかりで『おれ、1回もボールさわってねえ』と。ずんぐりしてた松尾はパスの多いスクラムハーフだった」

――指を骨折したときのことを教えて下さい。

「あのね、雨が降ってたと思うんだけど、どろどろの中でやってて、あっと気がついたら指が折れてた。『痛いっ』って思ったけど、何が起きたかわからない。スクラムだったと思いますけど。スクラムを組むたんび組むたんびに(敵味方が重なり合って)グチャグチャになってたわけ」

骨折がひどかった右手の人さし指。「ピアニストにはたいへんよ」

「(右手の人さし指をみせて)こういう風に曲がっちゃったの。これね、ピアニストにはたいへんよ。(左手の)こっちはね、まあそんなにひどくなかったけど。鼻も中に穴があいちゃって(右と左が)つながっちゃった。むちゃくちゃですよ」

――周囲の反応はいかがでしたか。ピアノの豊増昇先生から指揮者の道があることを教えられたと書かれています。

「豊増先生にはあきれられて。ボクをピアニストにするつもりだったから『ラグビーなんて、とんでもない』と言われていて、ボクもしないことになっていたけど、隠れてやっていた。上品な先生でね。今から考えると胸が痛いですよ。(先生の助言まで)指揮なんて、全然知らなかった。興味もなかったと思いますねえ、知らなかったから」

「オヤジ(故開作さん)がなんて言ったかは全然覚えてない。お袋(故さくらさん)には泣かれたような気がする。兄貴たちにも、相当言われましたよね。豊増先生という偉い先生について、みんなピアニストになると思ってたから」

――ラグビーやるんじゃなかったとは。

「いや、そんなふうには思わなかったねえ、やっぱり。ピアニストとしては大成しなかったと思うけども。指揮は斎藤秀雄先生についたのがよかったんです。これがウチのお袋の遠い親戚だった。この運がよかったんですよ」

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