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青春のギャラリー

苦学・失恋…受賞で見返したい 「裸婦の画家」の原点名古屋画廊 中山真一

2021/1/8

青春のギャラリー

佐々木豊《動物祭トリA》(1959年、130.3×162.1センチメートル、油彩・キャンバス、個人蔵)
才能や感性を鋭く問われる画家らアーティストは、若き日をどう過ごしたのか。ひとつの作品を手がかりにその歩みをたどる連載「青春のギャラリー」。ガイド役は名古屋画廊社長の中山真一さん(62)です。中山さんは「いつの世もアーティストが閉塞感を突破していく。自分を信じて先人を乗り越えていく生き方は、どんな若者にも道しるべを与えてくれるのではないか」と語ります。(前回は「見るな・見せるな・聞くな 童心の画家、師の教え貫く」

褐色調の暗い画面になにかが蠢(うごめ)いている。ダチョウのような大きな鳥たちの交歓風景か。少女がひとり優雅にその一頭に乗ってこちらを見つめている。ただ、画面全体はそれほど優雅ではない。絵筆で描くというよりも、自分の鬱屈した心情をもってこれでもかとキャンバスに体あたりをくりかえし、油絵の具の重なりが分厚い壁をきずいて固まったか。堅牢(けんろう)となった絵肌は、若さや必死さゆえのカオスをともない、有無をいわせずせまってくる。狂おしいまでの蠢きがこちらの胸をゆさぶってやまない。

バイトで資金、1浪中に上京

この作品《動物祭トリA》(1959年)の作者である佐々木豊(ささき・ゆたか)は、1935年(昭和10年)に名古屋市で生まれ、戦時下の疎開生活や中学校時代の新聞配達など子どもながらに苦労を重ねた。中学で美術教師をしていた洋画家の三尾公三に出会い、そのよき指導もあって画才をおおいに発揮する。のち愛知県立旭丘高校の美術科2期生として画家志望をかためた。

だが、東京芸術大学油画科の現役合格に失敗し、引き続きアルバイトにも励む。名古屋でパチンコ組立工として働いて資金をため、秋に上京。阿佐ヶ谷洋画研究所(東京・杉並、現在の阿佐ヶ谷美術専門学校)に学び、入試にそなえる。1浪後に首尾よく合格、というかおそらくは上位での合格。しかし本人にしてみれば、このとき不合格だったら生活資金もつきて人生どうなったか、と喜びより安堵が先にたった。

経済白書が「もはや戦後ではない」とうたった時代。あいかわらずのアルバイト生活ながら、芸大の開放的な雰囲気のなか画家の卵としておおいに人生修業をつんでいく。描くのに多少なりとも広いスペースをもとめ、何度も下宿をかわった。最後は愛知県人会学生寮。6畳間の2人部屋であった。佐々木が部屋をおおきくとって夜中までラジオをつけて制作するので、同室の東大生はついにはノイローゼになって留年してしまう。

大学4年生となった春、佐々木は国画会(こくがかい)展(大正期に発足した公募団体展)で初入選を果たした。だが、それくらいでは満足できない。受賞をしなければ。権威ある公募展はほかにもあろう。にしても、国が主導してきた日展はまったく肌にあわない。全体におとなしい作柄の春陽会など他の在野系の展覧会もまたどこか物足りない。そんななか、かの梅原龍三郎が健在の国画会は、活気があってやはり自分にむいている。その最高賞である国画賞をめざそう。

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パッションというよりヤマッけ
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