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令和2年正月の雷門(東京・浅草)=画・安住孝史氏

令和2年正月の雷門(東京・浅草)=画・安住孝史氏

 夜のタクシー運転手はさまざまな大人たちに出会います。鉛筆画家の安住孝史(やすずみ・たかし)さん(82)も、そんな運転手のひとりでした。バックミラー越しのちょっとした仕草(しぐさ)や言葉をめぐる体験を、独自の画法で描いた風景とともに書き起こしてもらいます。(前回の記事は「年の瀬に『お化け』のみやげ タクシー運転手は稼ぎ時」

令和2年が明けました。今年も例年通り初詣は東京・浅草の観音さまです。外国から来た方々も大勢目に付き、いつにもまして賑(にぎ)やかで、日本は観光大国になったなあと実感しました。昔と違うのは、晴れ姿も多い人混みの中で、ものを食べている人が目立つことでしょうか。見ているこちらが、ちょっとひやひやします。

タクシー運転手をしていた時も、年明け最初に向かうのは浅草の観音さまと決めていました。子どもの頃から親しんでいるからという理由だけではありません。絵を描いている僕を見守ってくれていると信じているからです。

僕に絵描きとして再出発することを決意させてくれたのは、観音さまで引いた1枚のおみくじなのです。半世紀近く前の昭和47年(1972年)、僕は絵を描くことをやめタクシー運転手として生きていくことを始めました。理由をひと言で語ることを許していただくならば、それは人間不信でした。絵筆を持たなくなって7年が過ぎ、会社でも僕が絵を描いていたのを知る人も少なくなりました。絵筆から離れていることに寂しさも感じていました。

そんなとき、僕のことを心配してくれた親友がいました。彼は僕の絵の才能を惜しんで季刊誌「江戸っ子」に僕を売り込んでくれたのです。しかし、僕は長いこと絵を描いていないので迷いました。夏の暑い盛り、窓を開け放して寝転んで思案していると浅草寺の境内で見かけるような鳩(はと)が突然、入り込んで来たのです。そうだ! 観音さまに決めてもらおう。人間は、生死も、人との出逢(あ)いも、大切なことは自分の意思だけでは決まらないような気がしていたのです。

大切に保管している「第一大吉」のおみくじ

大切に保管している「第一大吉」のおみくじ

観音さまに決めてもらおう。おみくじに吉が出たら絵を描いていく、凶が出たら絵への思いは棄(す)てる。そう覚悟を決めて引いたおみくじは吉、それも「第一大吉」が出たのです。僕の名前にある文字まで記されていました。絵を描けというお告げだ、僕の絵のことは観音さまにお任せしよう、そう思って親友の話に乗りました。ただ、季刊誌に描くのに条件をつけました。鉛筆画であること、そして夜の風景であること。夜にこだわったのは、哀(かな)しみをたたえた人の心の闇と、夜の闇がつながっているように思えたからです。

さて、話は一気にくだって運転免許を返納する少し前、僕が70代半ばのころのことです。僕がいたタクシー会社では正月三が日に出勤するとお年玉をくれました。いくつになってもお年玉をもらうのはうれしいものです。今年も無事故無違反で頑張るぞと気合を入れて出庫しました。

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