ビリギャル苦手意識バイバイ 絵の見方に「正解」不要
アートから学ぶ(前編)
私の母、通称「ああちゃん」は昔、画廊で働いていたの。今でも美大に通って勉強するぐらいアート好きなんだけど、私はなんでそんなに絵が好きなのか理解できなかったし、「ビリギャル」高校生だったときも美術の授業は嫌いだった。でも最近、生徒がワクワクしてどんどん発言したくなるような美術の授業をしている先生がいるって聞いたの。一体どんな授業なんだろう? 「13歳からのアート思考」の著者で、都内の学校で美術教師をしていた末永幸歩さんをたずねたよ。
――美術の先生にこんなこと言いにくいんですけど、昔から音楽も含めて芸術に触れて、何も感動しないというか、「ふーん」という感想しか出てこなくて。自分には美的センスがない、そんな自分が残念だなって思っていたんです。
「絵を見て感想が出てこないという人は多いですが、それって感性がないわけじゃないんです。絵に何か正解があるような、高尚なものというような考え方が、自分の中にある感性を見つめることを阻害しているんじゃないかなと思うんですよね」
「じゃあここで試しに、以前、書店のイベントで題材にした、エドワード・ホッパーという米国の画家の絵を見てみましょうか。『ナイトホークス』(夜更かしをする人々)というタイトルなんですが、これはどんな場面だと思いますか?」
――うーん、これはですね…、1980年くらいのすごく景気がよくないときのアメリカ。だからちょっと人気もなくて暗いんです。レストランの奥にマスターとしゃべっている男の人と女の人がいて、この男の人は銀行マンなの。このままだと会社がつぶれちゃうってぼやいていて。手前に座っているおじさんは、ヤバい人なの。裏社会をいろいろ知ってる謎の人。だから銀行マンの話を聞いてフフンと鼻で笑っているという絵、かな。
「すばらしい。苦手とお話されていましたが、自分の言葉でもう表現できていますよね」
――本当?この解釈が合っているかわからないですけど。
「『実はこの絵の背景は…』という私からの解説はないんです。ぜひ、今のような形で『誤読』というか、自分なりに解釈してほしいなと思っていたんです。私が授業や講座でやっているのはまさに、作品と対話することなんです」
オールナイト明けの牛丼?
――みんなでアウトプットし合うと面白い見方がたくさん出てきそう!間違ってていいんだ。アートにも正解があるんだと思ってました。
「『アウトプット鑑賞』と呼んでいるのですが、まずは絵を見て気付いたことと、なぜそう思ったのかを何でもいいので言ってもらうということをやります。イベントでホッパーの絵を出したときは、オール(オールナイト)明けの早朝に牛丼を食べに来た、みたいな意見も出ていました。ほかには、入り口はどこにあるんだろうとか」
――ほんとだ、入り口がない。
「よく見ると建築も少し変ですよね。こんなに大きいガラス張りの窓の建物はあるんだろうかとか、そもそも道路のこんなところに建物があるのはおかしいとか、そんな気付きを話していくうちに、ひょっとしてこの人たちはマネキンなんじゃないかみたいな話も出てきたんですね。イベントの後半では自分一人で物語を書くということをやります。実はこの店はミニチュア模型で、3歳の子供が店の中の人をひょいっとつまみ上げる、という話を考えた方もいました」
――へー、面白い!その視点はなかった。
「さやかさんみたいにいきなり自由に発想できる人は多くないので、まずは人と一緒に対話しながら見ていけば、絵の見方が今みたいにバッと広がるんじゃないかなって思います。日本の美術館は静かに見なければいけないという雰囲気がありますよね。でも私が初めてフランスのルーヴル美術館に行ったときに、若い人たちが絵の前で、よくこんなに話すことがあるなと思うくらい、絵について語っているのを見たことがあります」
――私、人と一緒に美術館に行っても、だいたいつまんなくなって先に出てきちゃうんです。例えばジャン=ミシェル・バスキアの絵の前で泣いてた人もいたんだけど、私は全然理解できなくて。
「美術館の見方でおすすめしているのは、まずバーッと回っちゃうんです。その中で、いいなと思った作品と、いまいちだなと思った作品を1点ずつピックアップして、『なぜそう思ったのか?』をアウトプットしてみると、面白く鑑賞できると思います。どの美術館も作品の解説を文章や音声で提供していると思いますが、それはインターネットで調べれば出てくることです。せっかく現場へ行ったなら『誤読』に専念してほしいなと」
――今話していて思い出したんですけど、私、学生時代の就職活動のときにグループワークでお題を出されて、大喜利みたいにどんどん答えていくみたいなのがすごく得意だったんです。例えば東京の満員電車を解決するにはどんなことができると思いますか、とか。2階建てにするとか、みんな会社に住んだらいいんじゃないとか、どんどん思い浮かんできて。
「もしさやかさんが私の生徒でいたら、すごく活躍するタイプかなと思います」
本当の「リアルさ」とは何かを考えてみる
――うれしい!! 自分が学生のときは美術の時間が本当に嫌で、すごく覚えているのが版画。あれがすごく嫌だった。手も汚れるし、上手にできないし。
「本来順番があると思うんです。まずは自分の興味とか好奇心に立ち返ってみたり、自分で表現したいことは何かなと探求する時間があったりして、その次に、じゃあそれを表現するためには版画がいいかもしれない、じゃあ版画ってどうやるんだろう、という順番ならやる気が出たかもしれませんよね」
――末永さんの授業って、どんなことをやるんですか。
「例えば、『リアルさ』について考える授業では、サイコロを実際に鉛筆で描いてみたり、ピカソの絵を見たりしながら、リアルな表現とは何か、なぜそう思うのかディスカッションしていきます。ピカソの絵をリアルだと言う人はあまりいませんが、実はピカソ独自の視点でリアリティーとは何かを追求した絵もある。そうすると写真のように描けた絵、遠近法を使った絵がリアルだという考え方に縛られている、ということに気付くことができます。写実に縛られずに、自分なりにリアルさって何だということについて考えるということができるようになります。その後で、『卵をリアルに表現してみよう』と創作をします」
「これは中学1年生の作品です。まずニワトリや卵焼き、マヨネーズなど、卵からすぐ連想できるものをスケッチブックに描いていました。私から、卵で顔料を溶かして描く、テンペラという絵の具もあるよと教えたら、化粧品や肥料など、卵からは遠いけど実は卵が変身したようなものも探していったんですね。そして最終的に作ったのはこの多面体。各面に卵から変化した様々なものを描いています。普通に目にする丸い卵ではなく、卵は七変化するものだということが、その子にとって卵のリアルな表現だったのです」
――天才!すごくクリエーティブ。正解がないってこういうことか……!
「クリエーティブや創造力って、答えが一つでないようなものに対して、自分なりに思考することだと私は思うんですね。言い換えれば探究です。子供はアーティストとよく言われますが、成長するにつれ、知らず知らずのうちに持っているバイアスが自分なりの見方を阻害しています。私の授業ではまずそのバイアスをまず認識してもらうということから始めて、バイアスを壊し、視野を広げる手伝いをしています」
――それすごくわかります。人それぞれ考え方見方の癖というか、学習科学では「スキーマ」と呼んでいるその人特有の枠組みがあるんですけど、それをとっぱらうためには「対話」が必要なんですよね。自分の思考の枠組みをとっぱらって広げていく。これっていろんなスキルにもつながっていく超重要なトレーニングになると思います。それには、アートが1番いいのかな。
「別にアート作品でやらなきゃいけないということはないと思っています。でも絵などのアートがいいなと思うのは、もともと決まった答えがないものだからです。アート作品は作者の意図は込められているものの、それで100%完成するものではないんです。鑑賞者が見て初めて成立するというものなので、自由に答えを作ることができる。つまり作品を通して、自分と対話していくことができるんです」
(文・構成 安田亜紀代)
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立ってきた。彫金家の曽祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)
1988年生まれ。「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」(坪田信貴著、KADOKAWA)の主人公であるビリギャル本人。中学時代は素行不良で何度も停学になり学校の校長に「人間のクズ」と呼ばれ、高2の夏には小学4年レベルの学力だった。塾講師・坪田信貴氏と出会って1年半で偏差値を40上げ、慶応義塾大学に現役で合格。現在は講演、学生や親向けのイベントやセミナーの企画運営などで活動中。2019年3月に初の著書「キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語」(マガジンハウス)を出版。19年4月からは聖心女子大学大学院で教育学を研究している。
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