「医療は病気に勝てない」と失望

母親が頭痛やめまいを訴えて寝込むようになったのは、東氏が高校に進学して1カ月ほどたった頃のことだった。症状は悪化し、悪性度の高い脳腫瘍と診断された。罹患率は10万人に1人といわれる難しい病気だったという。

「手術を受け、入退院を繰り返した母を、祖母、父親、中学生の弟とともに懸命に看病し続けました。でも、母はみるみるうちに弱っていった。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け、見た目ばかりか、明るかった性格も変わり果てていきました。ただ、つらかったという記憶しかないですね」

病気がむしばむのは、患者本人の心身だけではない。皆で記念日を祝ったり、旅行に出かけたりする仲のいい家族同士だったが、極限状態の中ですれ違うことが増え、関係は疎遠になった。

「母は初めに医師から伝えられていた余命宣告通り、1年半ほどで亡くなりました。あんなに頑張ったのに、苦しんだのに、何も変えられなかった。それどころか、後に残された私たちも、いろいろなものを失いました」

大学進学では医療を選択肢からはずした

自分と同じような苦しみを味わう人を少しでも減らしたいという思いこそが今、困難を伴う事業を前へと進める原動力になっている。だが、10代だった当時の東氏の胸中にあったのは、医療に対する失望だった。

「勝てないのに闘う必要はあったのだろうか。そんな、怒りにも似た気持ちがありました」

だからこそ「医療だけは進路の選択肢から外した」。自分の心に区切りをつけるように、大学では純粋に学問として面白いと感じていた物理学を専攻。憧れがあった航空宇宙の研究者を目指した。

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