デザイナー・森永邦彦さん 母の手作り服でモデルに
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はファッションデザイナーの森永邦彦さんだ。
――光を浴びると色が変わるなど、最新のテクノロジーを取りいれたファッションをパリ・コレクションなどで発表しています。ご両親もご覧になるのですか。
「国内で開催するショーはすべて見ています。コンセプトを理解したうえで『この部分はこういう意味だよね』と、僕が意識していなかったことまで指摘したりもします。僕の会社の従業員と仲がよく、パリコレの前など何かにつけて食べ物を差し入れに来てくれます」
――一番の支援者ですね。
「そうですね。両親は小学校の同級生でいま65歳ぐらいですが、普段から僕のブランドの服を着て、ファッションの情勢にも詳しいです。毎日ファッション大賞という大きな賞を昨年いただいたのですが、それまで両親は『今年もダメか』とがっかりし続けていました。僕より自分たちの方が欲しかったのではと思えるほどでした」
――ご両親はどんなお仕事をされていたのですか。
「父は学芸員の資格を持った東京都国立市の公務員で、市の郷土文化館の立ち上げを担当し、市立図書館の館長も務めました。美術や歴史、文化への関心が高く、よく美術館に連れて行ってくれました。僕が4歳ぐらいの時、ピカソがドローイングしている映像を美術館が流していて、飽きずにじっと見ているのを、閉館近くまで待ってくれたことがありました」
「母は文化女子大学でデザインを学び、百貨店で婦人服の販売をしてから専業主婦になりました。僕が7歳の頃、母が中心となって市のホールで子ども服のショーをしたことがあります。母が作ったサファリルックの服を着てモデルとして出たのが、僕のファッションの原体験です。僕が自分のショーで発表するニットも、初めのころは母が編んでくれていました」
――進路について何かアドバイスはありましたか。
「まったくありません。勉強するのが好きで、勉強しろと言われたこともありません。絵画やピアノ、拳法など興味を持ったことは何でも学ばせてくれました。中学から高校までは将来について何も考えず、バスケットボールに熱中していました」
「大学1年の夏にファッションデザイナーになりたいと思い、大学に通いながら専門学校に行きたいと両親に話した時も、『やりたいことが見つかったなら』と学費を出してくれました」
――創作にご両親の影響を感じることはありますか。
「2人とも圧倒的に優しかったし、自分がすることを一切否定しませんでした。僕はデザインに一見無機的なテクノロジーを多く取り入れますが、本当に親の愛情を受けて育ったので、根っこには人への愛情とか人間くさいところがあると思っています」
(聞き手は生活情報部 堀聡)
[日本経済新聞夕刊2020年3月3日付]
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