ライバルはみうらじゅん・中島信也 武蔵美はトキワ荘
編集委員 小林明
フェラーリ、北陸新幹線などを手がけた工業デザイナーの奥山清行さん、「伊右衛門」「カップヌードル」などのヒットCMで知られる敏腕ディレクターの中島信也さん(東北新社副社長)、「ゆるキャラ」などの名付け親で漫画家、ミュージシャンとしても活躍するみうらじゅんさん……。この3人に意外な共通項があるのをご存じだろうか?
実は3人とも武蔵野美術大造形学部(視覚伝達デザイン学科)の同級生なのだ。
1978年から4年間、40人ほど在籍するクラスで机を並べ、青春時代を謳歌し、才能を競い合った良きライバルだったという。「中島、みうらともに当時から光るものがあった。今の活躍を見ても十分に納得できる」と語る奥山さんに、気鋭クリエーターたちとの懐かしい思い出や切磋琢磨(せっさたくま)した学生時代を振り返ってもらった。
東京芸大に落ちて武蔵美へ、自己紹介で抱いた落胆と親近感
――武蔵野美術大造形学部(視覚伝達デザイン学科)のクラスはどんな雰囲気だったんですか。
「よく覚えているのが授業の最初にクラスのみんなで自己紹介した時。『目指していた東京芸大に落ちたので武蔵美に来ました』『あ、俺もそう。東京芸大に入れなかったのでここにいます』なんてあいさつした人が多かった。僕自身も東京芸大の受験に失敗していたので『なんだ、同じ落ちこぼれなんだ』と少しガッカリ。でも、同時に何となく、みんなに対する親近感も覚えました」
――40人程度のクラスですから、お互いに仲良くなりますね。
「ええ、毎日、楽しくやってました。実は僕とみうらは国分寺で隣同士のアパートに住んでいたんです。たしかみうらが第一菊池荘で、僕が第二菊池荘だったかな? みうらのアパートには風呂があったんだけど、僕のアパートにはなかったので『こん畜生』なんて内心思ったりしていた。でも家が近いこともあり、一緒に酒を飲んだり、よく遊んでましたね」
みうらじゅんは隣のアパート、もらったキャベツが酒のさかな
「金銭的な余裕はあまりありませんから、酒のさかなに困った時には、近所からもらってきたキャベツを千切りにしたり、フライパンで油炒めにしたりして、みうらの部屋で食べながらよく一緒に飲んでいました。当時から、みうらには独特な世界観があって、髪の毛を長く伸ばし、音楽をやっていて、京都弁で周囲をよく笑わせたりしていた。あの頃から牛の置物のコレクションなんかもしていましたよ。漫画も描いていて、学生時代に漫画雑誌『ガロ』からデビューするなど学校ではすでにかなり有名な存在でした」
――中島さんや奥山さんはクラスでどんな存在だったんですか。
「中島は大阪育ちでお笑いの感性の固まりみたいな感じ。たしか彼も中央線沿いに住んでいたと思います。みうらや僕らと一緒に酒盛りにも参加していました。みんな若い盛りですから、大勢集まったクラスメートの誰かが酒に酔って暴れ回って、警察を呼ばれたこともあります」
「僕、みうら、中島の3人は、性格も個性もまったく違っていました。僕はサーファールックで勉強もせずに夏はサーフィン、冬はスキーばかり。自動車にも夢中になっていた軟派な遊び人タイプ。ただ絵を描かせるとそこそこうまいし、高校が進学校(山形東高校)だったので勉強はできると思われていた。とはいえ、みうらや中島ほど学校では目立った存在ではなかったです」
度肝抜かれた中島信也の作品、プロ顔負けの広告写真
――大学での授業はどうだったんですか。
「最も印象に残っているのが写真の授業。一眼レフカメラを持ち、街角でひたすら人に声をかけて白黒のポートレートを撮影させてもらうんですが、1週間で36枚撮りのフィルムを60本も撮らないといけない。修業のような授業でした。そもそも白黒のポートレートって、被写体の人間性がよく出るんですよ。撮影する側のセンスもそのまま出てしまう。しかも街角で大勢に声をかけ、写真を撮らせてもらうにはかなりの勇気が必要なんです」
「その授業で、僕は中島が提出した作品に度肝を抜かれた経験があります。今でも忘れません。中島が撮影したのは、家の前で家族がニコニコと笑っている集合写真。そこにこんなコピーが付けてあった。『お馬がくれたマイホーム 日本中央競馬会』……。競馬で大穴を当て、家を買い、家族全員が幸せになったというストーリー仕立ての写真です。広告写真としても十分に通用するプロ顔負けの出来栄えだったので『これはすごい』と目を見張りました。あの時の衝撃は今でもはっきりと覚えています」
――すでに敏腕CMディレクターの片りんを見せていたんですね。
「ええ、天才かと思いましたよ。力強く浮かび上がる家族の笑顔、コピーの表現力、レイアウトやフォントの編集の技術……。そこには笑いがあり、リアルな家族のストーリーがある。人間の幸せを器用にいじくりながら、作品に仕上げてゆく作風や発想。あらゆる意味でセンスがズバ抜けていた。先生も驚いていたくらいです。中島はそんな才能を生かして卒業後、東北新社に就職します」
みうらには周囲を驚かす大胆さ、同級生は個性派ぞろい
――授業での奥山さんやみうらさんの様子はどうでしたか。
「僕は『このまま日本で就職するのは嫌だ』と色々と迷っていた時期なので、その気持ちが写真に出ていた気がします。後半くらいから先生にようやく褒められるようになりますが、最初は怒られてばかり。おかげで僕は今でもレイアウトやスペーシング(文字周りのスペース)には結構うるさいんです。結局、僕は武蔵美を卒業後、米国に留学します」
「みうらはシュールで暗い感じの写真を撮っていました。彼の内面に影のような暗い部分があるんでしょうか。よく分かりませんが……。普段は冗談を言って、周囲を笑わせているような明るい性格だったので、少し意外な感じがしました。でもあの頃から、みうらには周囲をあっと驚かせる大胆さがあった。ある日、スーパーで自分たちがそれぞれ欲しいと思うものを競い合うゲームをしてみたことがある。僕が目を付けたのは『スター・ウォーズ』の戦闘機の平凡なプラモデル。でもみうらが選んだのは、なんと店先に飾ってあるマネキン人形だった。ビックリしました。普通の発想とは違うんですね。中島やみうらに限らず、とにかく僕の周りには一癖も二癖もある個性派が集まっていました」
日本の受験レベルの高さは武器、程よい挫折が成長には有益
――漫画界でも手塚治虫さん、藤子不二雄さん、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんら有名漫画家が青春時代を過ごしたアパート『トキワ荘』が有名ですが、若い頃には才能を競い合うライバルの存在が必要なんでしょうか。
「そう思いますね。武蔵美だけが特別ではないんでしょうが、良いか悪いかは別にして、日本の受験システムは世界でもかなり高いレベルにある。特に美大生のスケッチのレベルは驚くほど高いと感じます。これは世界で戦う武器になる。さらに武蔵美には、東京芸大に落ちたような学生が集まりますから、変なプライドがないので、逆に良いのかもしれません。程よく挫折を経験しているから、ハングリー精神や在野精神みたいなものがある」
米アートセンターは「虎の穴」、今もライバルには負けたくない
――奥山さんが留学した米アートセンター・カレッジ・オブ・デザインにも才能が集まりました。
「これは米国の『トキワ荘』ですかね。ただ武蔵美と違い、カリキュラムがものすごく厳しかったので、むしろ『タイガーマスク』に出てくる『虎の穴』(悪役レスラーの養成機関)に近いかもしれません。軍隊のようなスパルタ方式で授業に3回遅刻したら落第してしまう。入学時には40人ほどいた学生が、厳しいふるいにかけられ、最後に10人くらいしか残らない。でもその10人はどれも粒ぞろい。スケッチを激しく競い合いながら、大いに刺激を与え合っていました」
「ポルシェ・ボクスターを手がけたグラント・ラーソン、イタリアのバイク、ドゥカティ・モンスターを手がけたミゲール・ガルーツィ、ミニやフィアット、アルファロメオ、フェラーリ、マクラーレンをデザインしたフランク・ステファンソン……。同級生はそうそうたる顔ぶれです。武蔵美での同級生も含めて、こうしたすごいライバルたちと若い時期に出会えたのは僕にとっては大きな財産。今でもライバルの活躍や仕事は気になるし、負けたくないという気持ちは強い。生涯のライバルを持つのは、成長を続けるうえでとても大切なことだと実感しています」
(聞き手は編集委員 小林明)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界