白洲次郎 ジーンズ姿に「米国、何するものぞ」の気概服飾評論家 出石尚三

この機内でちょっとした出来事がありました。食事後、池田勇人がつま楊枝をくわえました。すると後ろの席にいた次郎が、そのようじを取り上げたというのです。これはたぶん、池田がアメリカで恥をかかないための配慮だったのでしょう。時の大蔵大臣が、ようじをくわえるようなみっともない格好を見せるな、というわけです。

着るものによって相手を「のんでかかる」

もう一つ、次郎は機内で、当時の日本人としては珍しい行動を示しました。スーツを脱いで、Tシャツとジーンズの服装に着替えたことです。

撮影:濱谷 浩=武相荘提供

当時の日本ではジーンズはまだ少数派で、ごく一部の不良がはくものとされていました。だから、次郎は「日本ではじめてジーンズをはいた男」ではありませんが、れっきとした紳士の中で、はじめてジーンズを身に着けた日本人、ということはできます。

もっとも、次のようなエピソードにも注意を払う必要がありそうです。

次郎は1930年に妻の正子とヨーロッパに出張しました。その間に正子が病気を患い、静養先としてサンフランシスコを訪れたのです。当時のサンフランシスコには「リーバイス」の本社があり、ちょうどジーンズが名物になりはじめた頃でした。この「新名物」に次郎が無関心であるはずがありません。リーバイスを知る日本人がほとんどいない時代に、次郎はサンフランシスコでジーンズに出合っている可能性が高いのです。ならば「はじめてジーンズをはいた日本人」と言っても、あながち大きな間違いとは言えないのではないでしょうか。

さて、吉田首相特使として渡米した次郎は、なぜ機内でジーンズに着替えたのでしょうか。スーツよりも楽だったから。確かにそれもあるかもしれません。が、私が思うに、彼はきっと、その行動によって、アメリカをのんでかかる心意気を示したかったのでしょう。

機内の一行の緊張は察するに余りあります。そこで次郎はわざと「アメリカは所詮、作業着のジーンズを普段はくぐらいの国なんだろ」くらいに思い込ませたかったのだと思います。この行動の裏には、英国紳士スタイル同様、次郎がすでにアメリカのジーンズスタイルの精神を理解し、我が物としてしまっている実情がうかがえます。

着るものによって相手を「のんでかかる」気持ちになることはままあります。「居は気を移す」の言葉があるように「衣もまた気を移す」ものです。もっとも、表面的に身につけるだけでは足りません。その装いの本質を理解していれば、身につけた時の心理的な効果は絶大なはずです。ときには権威に縛られない開放的なジーンズをはいて、心の凝りを解きほぐそうではありませんか。

出石尚三
服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。
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