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薄暮の二重橋(画・安住孝史氏)

薄暮の二重橋(画・安住孝史氏)

夜のタクシー運転手はさまざまな大人たちに出会います。鉛筆画家の安住孝史(やすずみ・たかし)さん(81)も、そんな運転手のひとりでした。バックミラー越しのちょっとした仕草(しぐさ)や言葉をめぐる体験を、独自の画法で描いた風景とともに書き起こしてもらいます。

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年号は平成から令和に移りました。昭和も戦前に生まれた僕には、現在は全ての時の流れが速く感じられます。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」(江戸中期の俳人、大島蓼太=おおしま・りょうた)。時代の流れは昨日のことも遠い昔に押し流します。先日、児童館で絵を教えている子供たちに、美空ひばりさんの名前を出しましたら「何をしていた人ですか」と聞かれました。昭和は遠くなりにけり、ですね。

年号が変わったので久し振りに皇居前の二重橋をスケッチしようと出掛けました。夕方だというのにたくさんの人出でした。家族連れや若い人、外国人も居ました。二重橋の落ち着いた風景を前に佇(たたず)んでいるうちに、タクシー運転手をしていたときの出来事を思い出しました。

『東京だョおっ母さん』

40年ほど前、東京駅丸の内南口のタクシー乗り場でお客様を待っていると、「二重橋まで」と男の人が1人、年配の女性が3人乗車してきました。二重橋は東京駅から目と鼻の先、ワンメーターの料金でももったいないくらいです。「歩ける距離ですが、よろしいですか」と念のため確かめますと、構わないとのこと。女性3人が後ろに乗り、男性は助手席に座りました。

「岐阜から着いたばかりで」と男性が話しかけます。母なのか姉なのか、長旅で疲れた女性たちへの配慮の乗車だったと思いました。東京見物に来られたのだと思ったので、「はとバス」のガイドさんよろしく「左側にあるのが東京都庁(今は東京国際フォーラムになっています)」「右手のビル街は昔はレンガ建ての美しい街並みで、子どもの頃は『一丁倫敦(いっちょうろんどん)』と呼ばれていました」などと話しました。そこだけロンドンそっくり、という感じだったんです。

二重橋前の交差点で降りるのは危ないので、手前の馬場先門のお濠を越えたあたりで止めました。「左の奥に楠木正成の像がありますよ」と指をさしたことも覚えています。

ほんの数分の短いガイドでしたが、別れ際に「ありがとう」と本当に喜ばれ、僕まで親孝行をしたような気分になりました。年配の女性たちへのささやかで自然な男性の思いやりが、僕を含めたその場の皆をなごませてくれたのだと思います。島倉千代子さんが歌った『東京だョおっ母さん』は、最初に二重橋を訪ねる歌詞になっていましたが、それを地でいくような話でした。

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