野球監督兼選手・吉田えりさん 父の助言でナックル姫
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女子硬式野球の監督兼選手の吉田えりさんだ。
――高校2年生だった2008年にプロ野球の独立リーグにドラフト指名され、男性ばかりの世界に飛び込みました。
「小学生から男子に交じって野球をし、中学でも野球部。その後もクラブチームでプレーしていて、高校の親子面談で将来の希望を聞かれると『プロ野球選手』と答えていました。びっくりする先生の前で、母は『すみませんねえ。変なことを言って』と笑っていたぐらいですから、両親は私の夢を十分理解していました。だから指名されたとき『おめでとう。どうするかは自分で決めなさい』って、私の意志に任せてくれました」
「入団したのは神戸のチーム。自宅を出て初めて一人暮らしをしたので、1年目はホームシックになりました。思うような成績も残せず悩み、母に打ち明けました。そうしたら『きつかったらやめれば。お母さん、そういうの分からないから』って。自分が負けず嫌いなことを分かって言ってくれたんだと思います。やめてたまるかって、ファイトが湧きました」
――愛称「ナックル姫」の由来であるナックルボールに取り組んだのは、お父さんの助言だそうですね。
「男性と一緒に野球をするなら、こんなボールがいいんじゃないか、といって中学生のときに父がいろいろ調べてくれたんです。大リーグにウェイクフィールドというナックルボールで有名な投手がいたのですが、その選手のビデオを何本も撮ってね。キャッチボールの相手をしてくれたのも父です。『今のはいいね』『これはダメ』といって練習に付き合ってくれました」
「父は野球の経験者ではありません。小学生の兄と私がボールの捕り方を父に教えたぐらい。なのにいろいろアドバイスしてくるので、うるさくなって『お父さんは野球のこと知らないでしょ』と、ケンカしたこともありました。でも、今振り返ると、当初、上から投げていたのを横からに変えたのも父の助言。感謝しています」
――10年から米国の独立リーグでもプレーしました。
「このときも『何かあったら帰ってらっしゃい』って普通に送り出してくれました。どんな時でも特別なことはせず、自然体で接してくれる。それが両親の優しさなんだなって感じています。父は米国で私が投げる試合を毎回インターネットでチェックしてくれていたみたいで、11年に初勝利を挙げたとき、すぐに『おめでとう』ってメールが来て、うれしかったです」
――今春から栃木県内の社会人女子硬式野球チームの監督兼選手となりました。
「監督としてはまだまだ勉強中で、コーチなど周囲の助言を受けて何とかやっています。早く一人前になって、立派に采配を振る姿を両親に見てもらいたいと思います」
[日本経済新聞夕刊2018年9月4日付]
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