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倒産しても「我が師匠」 鎌倉シャツ会長のVAN盛衰記

メーカーズシャツ鎌倉 会長 貞末良雄氏(3)

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NIKKEI STYLE

「鎌倉シャツ」で知られるメーカーズシャツ鎌倉(神奈川県鎌倉市)の貞末良雄会長の原点、ヴァンヂャケット(VAN)。アイビールックで一世を風靡、日本の高度成長期を掛け抜けたVANの全盛期は長くなかった。同社は78年に倒産、貞末会長がメーカーズシャツ鎌倉を起業するのはその15年後のことだ。VAN創業者の故石津謙介氏を貞末会長は今も「先生」と呼ぶ。

《連載一覧》
(1)「幻のTPP」が生んだ純国産 鎌倉シャツ、狙うは海外
(2)大切なことは全部、VANで学んだ 鎌倉シャツ会長
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長




――1960年代、流行を生み出し続けたVANは74年に売上高450億円を記録しました。ただ、右肩上がりの業容拡大のなか、組織の緩みが出てきたといいます。

「売上予算よりも3割以上も多く、仕入れ商品を発注していた年もあります。VANの担当者が取引先の工場に入り浸って、過剰接待を受けたり、リベートを受け取ったりしていたのです。私は大阪で倉庫管理をしていたので、ほころびも見えやすかったかもしれません」

――総合商社から資本を受け入れ、担当者の派遣も受け入れました。貞末さんも東京本社へ異動となります。

「石津先生が大阪の倉庫を視察に訪れた際、『こんな品物が売れると思うかね?』と言いながら新しいバッグを引き裂いてしまったことがありました。自分の理想としている方向に、会社が向いていっていないこと対するいらだちが伝わってきました」

「私が東京に移ってからは、ホテルの中華料理店に呼び出されて『商社の連中が騒がしいのだが、一体我が社はどうなっているんだ?』と真顔で聞かれたこともありました。ファッションに関しては天才的でしたが、残念ながら経営にはあまり関心が持てないようでした」

――経営陣への不満を背景に、1974年には労働組合ができました。

「社外勢力が入ってくるなどして、社内が混乱しました。こうしたなか(労使協調路線の)第2組合をつくったのは私です。何者かに3度襲われ、妻子を実家に避難させたこともありました」

■アパレル最大の大型倒産

――VANは78年4月に会社更生法を申請して事実上倒産しました。当時としては戦後5番目、アパレル産業では最大規模となる大型倒産でした。

「37歳のときでした。管財人から会社に残ってほしいと説得されましたが、再建の自信がありませんでした。VANを退職した後は、ファッション業界のコンサルタントやアパレル企業の役員など、何カ所か務めました」

「起業したのは、VAN倒産から15年後でした。石津先生の『欧米にはスペシャルティーのあるドレスシャツ専門店があるが、日本にはない』と話されるのを聞いたのがきっかけです」

――「石津先生」と呼び、敬語を使っていますね。経営者としての責任を指弾こそすれ、「先生」と呼ぶのは理解しがたいです。

「いや。今でも『先生』です。恐らく石津先生を恨んでいる元社員はいないのではないでしょうか」

「倒産後もVAN出身者の人気は高く、実は部下の再就職先は引く手あまたでした。部下の再就職を探した際も、あまり苦労せずに決まっていった記憶があります」

《連載一覧》
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(2)大切なことは全部、VANで学んだ 鎌倉シャツ会長
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長

「結局1000人から1500人の元社員が既存のアパレル企業に入っていきました。ファッションを何も知らない企業の幹部から見たら、VAN出身者であれば、誰でも素晴らしく思えたのでしょう」

「VAN出身者が食べていけたのは、学校で習うのではなくカラダで覚えたファッションの文化的感性を培っていたからだと思っています」

――メーカーズシャツ鎌倉を興した際、石津氏から激励のメッセージが贈られました。文面をみると、経営に失敗したという意識はうかがえません。

「私は石津先生の東京・青山事務所に定期的に通っていました。『こんな文章をお願いしたい』というメモを差し出したら、サッと目を通して書いていただいたのです。年齢を重ねていってもカンの良さは抜群でした」

■VANの栄枯盛衰から学んだ生き残りのカギ

――石津氏は2005年に93歳で亡くなりました。VANの栄枯盛衰を身近で見て何を学びましたか。

「ファッション産業はシステム産業でないと成り立たないということです。売れ筋だけを追って、今年は何が売れるとか売れないといった競馬の予想みたいなことをやっていれば、いずれ破綻します。一番大切なのは売る量とつくる量のバランスを成立させることです」

「メーカーズシャツ鎌倉は私と妻の夫婦2人で創業した会社なので、ローコスト経営を追求しました。シャツはビジネスマンの必需品として普遍的な価値があり、流行に大きく左右されません。しかも消耗品です。ロスの生みにくい点に注目しました」

「アパレルは競争が激しい業界です。経営者の心得はおしゃれを愛しても、愛しすぎないことです。私がVANの倒産から会社を立ち上げるまで、4つの会社に勤めましたが、いずれももうありません。商品企画から製造、物流、販売までを一貫して手がけるSPA(製造小売り)モデルを確立することが、アパレル業界で生き残るカギとなります」

(聞き手は松本治人)

貞末良雄氏
 1940年山口県生まれ。64年千葉工業大学電気工学科卒。66年ヴァンヂャケット入社。統括部長として営業、販売促進、物流、商品企画を担当。78年同社倒産により退社。81年ヴィレジャージャパン設立に参画。92年シーン専務営業本部長。93年にメーカーズシャツ鎌倉を創業。現在国内26店、海外3店を運営。

《連載一覧》
(1)「幻のTPP」が生んだ純国産 鎌倉シャツ、狙うは海外
(2)大切なことは全部、VANで学んだ 鎌倉シャツ会長
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長

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