グルメクラブ powered by 大人のレストランガイド

食の達人コラム

薩長の英国留学生 スコッチウィスキーと出合ったのか 世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(19)

2018/6/15

製造工程が複雑なウイスキーに日本の先人は取り組んだ=PIXTA

 なぜ日本において、製造工程が複雑な蒸溜酒「ウイスキー」が造られ始めたのか?

 アメリカンウイスキーの章で紹介したが、米国でウイスキーづくりが広がった時期は製造工程が単純な蒸溜酒のラムよりも後である。ラムでの経験を生かした。より時代が下るとはいえ、なぜ日本ではいきなり手間のかかるスコッチタイプをつくり始めたのか?

 その経緯を解き明かす上で、大切なヒントが得られるチャンスが巡ってきた。2016年7月1日から日本経済新聞朝刊で伊集院静氏による「琥珀(こはく)の夢――小説、鳥井信治郎と末裔(まつえい)」の連載が始まったのである。サントリーの創業から赤玉ポートワインの成功、ウイスキー事業への進出と成功、ビール事業への進出と黒字化までが書かれている。書籍は『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(集英社)として出版された。

サントリー創業者鳥井信治郎氏

 小説にはウイスキー事業進出の決断に向けての出来事が描かれる。

 まず、1919年にトリスウヰスキーというブランド名の製品を出した。ウイスキー原酒を使ったのではない。樽(たる)に入れて保管してあったリキュール用アルコールを使ったのである。樽の中で熟成して味がウイスキーに似てきていた。発売した3000本がたちまち完売した。この一件で信治郎は樽熟成の威力を知る。

 しかし、これは当然ながら本物のウイスキーではない。「本物のウイスキー」はどんなものと考えられていたかがうかがえる部分がある。東洋製罐の創業者、高碕達之助が発言する。

「アメリカ人でもスコッチウイスキーを造る技術と熟成期間を耐える財力がないから、トウモロコシでこしらえたバーボンを短期間で造ってるんだ。それにスコッチウイスキー造りが商売になるんなら、とっくに灘(なだ)でも伏見でも酒造会社がやってるはずだよ」

 これに対して信治郎は、「誰もまだ造ってへんもんやから、やってみようと思うてまんのや」「同じ人間の手や。わてのこの手でもできるはずや……」と応える。

 高崎は、スコッチウイスキーを日本で造ることの困難さを知っていたように見える。当然だが、信治郎は高崎よりさらによくスコッチウイスキーのことを知っていた。そして、自分がパイオニアとして先頭を切ってやり通せるという確信を抱くことができたきっかけがあったに違いない。

グルメクラブ新着記事

ALL CHANNEL