疲れない人が実践 スキマトレーニングとストレッチ
プロトレイルランナー鏑木毅選手の健康マネジメント術(1)
プロトレイルランナーの鏑木毅さんは早稲田大学で箱根駅伝を目指すも故障で断念。群馬県庁に勤務していた28歳の時に、野山を走るトレイルランニングに出合い、プロトレイルランナーの最高峰の大会である総距離約170kmのレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」に、2007年から2012年まで連続出場、最高3位入賞という驚くべき成績を残す。40歳でプロになり49歳の今も現役で活躍する鏑木さんのインタビュー第1回では、県庁勤務時代に80kgに増えた体重をどのように1年で20kg近く落とし、忙しい合間にどんなトレーニングを積んだのかを伺った。
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中学から陸上を始め、高校時代は長距離選手として練習していましたが、オーバーワークからの座骨神経痛により、目立った成績を残せませんでした。その後、二浪して早稲田大学に進学し、念願だった競走部に籍を置くことに……。浪人時代のブランクを取り戻し、Aチーム(箱根駅伝の正メンバー)に入ろうと、人の何倍もの練習をした結果、大学2年生の時にAチームに入ることができました。しかし、予選会を目の前に再び座骨神経痛に悩まされ、結局、箱根駅伝出場の夢は断たれてしまいました。陸上にささげた学生時代は、やることが何もかもうまくいかない日々の連続でした。
大学を卒業後、故郷の群馬県庁に就職した私は、学生時代の挫折から自暴自棄になって走ることから離れ、仕事が終わった後の一杯が楽しみになりました。1週間で4~5日は飲みに行くような生活を送っているうちに、体重が50kgを割るような体形から、いつしか80kgオーバーに……。しかし28歳の時に、そうした生活が一変するどころか、その後の私の人生が大きく変わる出合いがありました。それは、地元紙でたまたま見かけた山の中を走り回るトレイルランニングのリポート記事。それを読んだ私は衝撃を受け、「やってみたい!」と強く思ったのです。
しかし、不摂生な生活が長かっただけに、すぐに過酷なトレイルランニングの練習を開始できるわけがありません。まずは脂肪をまとった80kgの体を絞ることが先決でした。
外食をやめると同時に、ウオーキング+ランニングという運動からスタート。1本先の電柱まで走ったら歩いて、次の電柱にたどり着いたらまた走るといった方法です。突然走るということをせずにケガを防ぎながら、少しずつ走る距離や時間を延ばし、結果的に1年で20kg近く落とすことができました。走れるような体になってからは、トレイルランニングの魅力にどっぷりとはまっていくのに、時間はかかりませんでした。
時間がない人は「スキマトレーニング&メンテナンス」を
当時は、県庁職員として働きながらトレーニングする「兼業アスリート」でしたから、トレーニング時間の十分な確保が難しく、普段の生活の中にトレーニングやメンテナンスを組み込んでいきました。トレーニングを始めると、「毎日30回3セットずつ補強運動をしよう」「1日10分ストレッチをしよう」と決める人が多いと思いますが、なかなか続かず、いつの間にかリタイアしてしまうものです。でも、スキマ時間を活用すれば習慣化しやすく、忙しいビジネスパーソンでも続けやすいのでお勧めです。
例えば、私が所属していた部署のフロアは22階にありましたが、5階にある部署などに用事があるときはエレベーターを使わず、必ず階段で上り下りすることを自分に課していました。それも普通に上るのではなく、駆け足で上がったり、一段飛ばしで上がったりする。基礎代謝が上がってさらに有効な全身運動になります。仕事が忙しくてウエートトレーニングのための時間が確保できなくても、職場や駅といった日々の暮らしの中にある階段を使えば、臀部(尻)や大腿前部と後部などの筋肉が鍛えられます。私は仕事中の移動だけでなく、お昼休みには階段をダッシュで上り下りしてトレーニングしていましたね。
また、ケガ予防やトレーニング効果の向上には、筋肉や腱(けん)を伸ばして可動域を広げ、動きやすい体をつくることが大事になります。そこで私は、電車やエレベーターを待っている間や信号待ちのときに体を左右にひねったり、アキレス腱を伸ばしたり、前屈や屈伸をしたりと、「ながらストレッチ」も習慣にしていました。特に同じ姿勢のままの長時間のデスクワークは血流が滞って体が硬くなり、乳酸などの疲労物質もたまりやすいので、1時間に1回は立ち上がって歩き、体をほぐすように心がけていましたね。
この「ながらストレッチ」は今も続けていて、海外遠征などのため飛行機で長時間移動する場合も、30分から1時間単位でこまめにトイレに行って屈伸などをして、同じ姿勢が長時間続かないようにしています。家では歯を磨きながら、少し行儀が悪いですが、足首を洗面台にのせてハムストリング(太ももの裏)などを伸ばしています。
さらに、体の疲労を少しでも軽減させるには、血流を促進して筋肉の疲労回復を早めることができる「セルフマッサージ」も欠かせません。県庁勤務時代は、席に着いて会議が始まるまでのスキマ時間に、太ももなどを片足ずつもんだりすることが癖になっていました。今でも車の助手席に乗って移動しているときに、オリーブオイルをふくらはぎや大腿部に塗ってマッサージしていますね。妻に「車が臭くなるからやめて」と言われますが(笑)。
その頃の習慣はプロになった今も続いており、暇さえあれば体を鍛えているか、「ながらストレッチ」や「セルフマッサージ」で体のメンテナンスを行って疲労を軽減させているか、それが私の優先的な時間の使い方です。
老化に勝つ「ほったらかし疲労回復アイテム」
トレイルランニングを始めて数々の大会に参加していたのですが、40歳手前で脚力や疲労の回復度合いが遅くなったと感じることがありました。いわゆる第1段階の老化です。競技力を低下させる「老い」と闘っていくためにも、トレーニング以外の時間は少しでも疲労回復につなげようと、さらに意識するようになりました。今は恐らく誰よりも疲労回復について考え、自分に合う方法を日々トライ&エラーの繰り返しで模索しています。
例えば、ウエアなどのアイテムもすべて試して、自分が本当にいいと思うもの、自分の体に合うものだけを使っています。
そんな中で疲労回復のために手放せなくなったのが、私のスポンサーでもあるゴールドウインのC3fit「Re-Pose」というコンディショニングウエアです。体温が1℃下がるだけで免疫力は低下し、体の疲れが残りやすくなるといわれています。このウエアは着る人自身の体温により自然な温かさを維持できる「光電子」という高機能素材を使用しているのですが、冬は温かく、夏は涼しいんです。私が今日アンダーウエアとして着ているのは長袖なので、日本の夏に着るには少し暑いですが……。
何よりも、疲労が回復に向かっていることを実感できています。普段の生活でもこのシリーズのシャツを着ていますし、家にいるときは必ずこのスウェットパンツをはいていて、今では国内外どこに行くときも手放せないお守りのような存在です。何もしていない時間でも体が回復に向かっていると思っただけでもうれしくて、気持ちを前向きにさせてくれるアイテムでもありますね。
そのほかにも、自動車や新幹線、飛行機などに乗って長時間同じ姿勢でいるときは、マグネットがついた腰ベルトを巻くことで、血流を良くして腰の疲労を防ぐなど、様々なアイテムを活用しています。
「司馬遼太郎」でぐっすり眠る
そんな疲労回復のための大事な要素の一つは、やはり「睡眠」です。睡眠不足は、体力はもちろん、モチベーションも下げます。「よし、今日も1日がんばるぞ!」と思えるような快適な目覚めでないと、その日のパフォーマンスに負の影響があるはず。前向きなエネルギーがないと、単純作業はできても、創造的な作業はできにくくなります。これは良質なトレーニングを行うためにマイナスの効果ですし、ビジネスパーソンなら仕事の質にも大きく影響を与えるでしょう。
普段の睡眠時間は8時間で、途中で起きることなく、ほぼぐっすり眠ることができます。同年代の人に「よくそんなに眠れますね」と言われるたびに、自分でも若いな~と思いますが(笑)、そのために心がけているポイントがあります。
それは、「寝入りをしっかりコントロールする」ことです。就寝1時間半ぐらい前からパソコンやスマートフォンの画面を見ないようにしています。デジタルから遠ざかる時間を設けることで、ブルーライトや「メールを返信しなくては!」といった意識による覚醒作用をなくし、心を落ち着かせてスムーズに入眠できるのです。
さらに寝入りをよくするために、私は自分の好きな歴史小説を利用しています。特に大好きな司馬遼太郎さんの本を読むと気持ちが落ち着くのか、3ページぐらいでいつの間にかすっと寝ているんです。私の場合は、司馬さんの小説を読むと、寝つきがいいうえに悪い夢を見ません。
ただそこにはポイントがあって、必ず1回以上読んで、ストーリーが分かっている小説しか読みません。読んだことのない小説だと興奮したり、続きが気になったりして目が覚めてしまいますから。
司馬遼太郎さんの本は国内外の遠征にも持っていく必須アイテムで、なくしても困らないように、古本を扱う店で同じ本を3~4セット購入して家に常備しています(笑)。
体力の回復には睡眠は欠かせませんから、電車やバス、飛行機といった移動時間でも、ぐっすり眠れるアイテムがあるのは、自分の強みです。また、歴史小説は、時に励まされたり、戦略を立てる時に学べることがあったりするので一石二鳥です。
◆プロトレイルランナー鏑木毅選手の健康マネジメント術
(文 高島三幸、インタビュー写真 厚地健太郎)
1968年群馬県出身。早稲田大学競走部で箱根駅伝を目指すも故障で断念。群馬県庁に就職し、28歳でトレイルランニングに出合い、40歳でプロ選手に。2009年世界最高峰レース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」(UTMB)で3位。同年全米最高峰レース「ウエスタンステイツ100マイルズ」で2位。2019年50歳で再びUTMBに挑戦すると表明。新著に『日常をポジティブに変える 究極の持久力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
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