ノー・ナイフ、ノー・ライフ。
by Takanori Nakamura Volume 2
イタリアのトスカーナ地方にスカルペリアという小さな街がある。愛称は、刃物の街である。ルネサンス時代からメディチ家の北方の守備の街として、刃物の生産で栄えた。街の男たちにとって、ナイフは故郷の誇り。子供の頃から自分用のナイフをお守り代わりに大事にするそうだ。
文=中村孝則 写真=藤田一浩 スタイリング=石川英治
(3)万年筆は、千年あたらしい。>>
<<(1)トランクは雄弁だ。
私もスカルペリアのナイフを、長いこと愛用している。切れ味もさることながら、いかにもイタリア製らしい、瀟洒(しょうしゃ)なデザインが気に入っている。お守りというわけではないが、国内外問わず旅にはこのナイフを厳重に梱包して持ち運ぶ。そして、レストランで肉を注文した時は、店に断りを入れて、マイ箸ならぬマイ・ナイフを使わせてもらうこともある。肉は、使い慣れ研ぎ込まれたナイフで切る方がめっぽううまいからだ。
肉を切るという行為は、それ自体が官能的な営みであり、味わう喜びにも直截(ちょくせつ)する。客に与えられた特権でもあるから、最大限にたのしみたいと思う。もっとも、大阪のレストラン「HAJIME」のように、お客のナイフのすべてを、切れ味鋭く研いでおくような店では、そんな無粋なマネはしないが……。
■ナイフの似合うやつこそ、ほんとうのダンディー
「ここではナイフの似合うやつこそ、ほんとうのダンディーだよ」と私にマイ・ナイフの習慣を勧めてくれたのは、トスカーナで養豚業を営むカルロさんだった。ポケットにいつも、愛用のナイフを忍ばせているカルロさんは、スカルペリアの郊外で幻の豚、チンタネーゼを育てている。
かつて、取材で訪れたカルロさんの自宅で、その自慢の豚をグリルで頂いた時、私のナイフの扱いがよほど気に入らなかったか「そんな切られ方をしたら、豚が泣く」と叱られた。「チンタネーゼはトロのように繊細な肉質だから、刺し身を切るように刃筋を立てるのがコツだよ」という。切るか切られるか。ダンディーぶりすら見切られるとあっては、ナイフの扱いも、ゆめゆめ予断が許されない。
ちなみに、予断を許さない状況を、英語で「ナイフ・エッジ」と表現する。日本語だと、「鎬(しのぎ)を削る」ような状況だろうか。鎬とは、日本刀の両側に走る稜線(りょうせん)のこと。ナイフ・エッジ同様に、刃物の部位を指す言葉が由来というのは面白い。これも刀が日本人のイメージから消滅しつつある影響であろう。近ごろは、ナイフも日常から排除されがちだから、ナイフ・エッジという言葉も、そのうち死語となるのだろうか。
■男たちからナイフを奪うな
ナイフを使った事件があると、矛先をナイフに向けるような人は、ナイフの本性を知らない人だろう。ナイフはもっとも原始的な機能のツールであると同時に、人を傷つける武器にもなるが、むしろその恐怖や残酷さゆえ、畏敬の念や美しさも宿すのだ。美とは、ある種の緊張感の中からしか生まれないとするならば、私たちがナイフから学ぶことはたくさんあるはずだ。少なくとも、美しいナイフが持つ緊張感に自覚的に生きる人は、そうやすやすとキレることもないだろう。
いま必要なのは、男たちからナイフを奪うことではなく、ナイフが持つナイーブさを、知ることなのだと思う。
コラムニスト。ファッションからカルチャー、旅や食をテーマに、雑誌やテレビで活躍中。著書に「名店レシピの巡礼修業」(世界文化社)など。
[日経回廊 2 2016年6月発行号の記事を再構成]
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