
男の装飾品のひとつとして、万年筆がふたたび注目されている。人気の理由は、インクを自筆で書く、というアナログ的な魅力だろう。同じ文字を書くにもキーボードをたたくのと、万年筆では大きく違う。ペン先が紙を走る時の手触りや音、インクの濃淡や擦れ、匂い……、大げさにいえば、そこには書き手のリアリズムがある。
文=中村孝則 写真=藤田一浩 スタイリング=石川英治
文章のスピード感やリズム感、思考の手触りみたいなことは、キーボードより手書きが向いていると言われるが、少なくとも万年筆には、書くことの本質的な喜びが潜んでいる。僕は、旅先にあえて万年筆を持参する。現地の絵はがきに、インクで旅情をつづるためである。
もっとも、僕が注目するのはダンディーなアイテムの象徴としての万年筆だ。最近は、見せるアクセサリーとして、ポケットに忍ばせて楽しんでいる人も多いが、僕も好んで愛用しているイタリア製の万年筆などは、カラフルなボディーのものも多く、いかにも洒脱(しゃだつ)な雰囲気が漂う。ちなみに、あえて見せるパンツのことを「見せパン」というそうだが、見せる万年筆は、さしずめ「見せペン」と呼ぶべきだろうか。
■吉田茂は米国が用意した万年筆を使わなかった
その「見せペン」は、しばしば歴史の見せ場に登場する。かつて吉田茂は、サンフランシスコ講和会議で条約に署名する際、米国側から新品の万年筆を用意されたのだが、わざわざ胸のポケットから、自身の万年筆を出してサインをした。その光景を見た白洲次郎は、両目に涙をあふれさせて感動する。