香取慎吾 三谷幸喜とのタッグで若き座長が得たもの
SMAPの肖像(5)

香取慎吾を思う上で、忘れられない光景がある。
その前に少し、演劇のことを語らせてほしい。演劇の場合、脚本家が演出を手がけるのがベストである。脚本家は舞台上での動き、発声などを思い描きながら、1行1行に魂を込めて書き紡いでいるからだ。
作家の書いた脚本(ホン)を、別の演出家が演出したほうが化学反応があって面白いというのは、一理はあるが、作者が現存している場合は、逃げ口上でしかない。昨今、脚本家が忙しすぎて(依頼数が多すぎて、次から次へと締め切りが待ち構え)、とても演出まで手が回らないという事情がある。
1960年代後半~70年代前半のアングラ演劇をひっぱった佐藤信(黒テント)、唐十郎(状況劇場)、寺山修司(天井桟敷)、70年代後半~80年代前半の小劇場ブームを起こしたつかこうへい、野田秀樹(夢の遊眠社)、鴻上尚史(第三舞台)、みんな自分で脚本を書いて、自分で演出するのが常だった。
7台のカメラで30分のドラマを一発撮り
さて、そこで三谷幸喜だ。
80年代に劇団サンシャインボーイズを主宰していた頃は全部、自分で脚本を書き、自分で演出していたが、90年代に入ってPARCO劇場(東京・渋谷、休館)でメジャー化する頃から、目をかけた後輩に演出を任せるようになった。テレビドラマ進出時も、演出はテレビ局のディレクターに任せるようになった。
遅筆で原稿が上がるのが、上演日や放送日ギリギリなので、自分で演出する余裕がない。だから当時、三谷脚本で素晴らしい舞台やドラマがあれば、「ああ、これが、本人演出ならなあ」と嘆息する舞台やドラマもないではなかった。
だから香取慎吾主演ドラマ『HR』(2002~03年、フジテレビ)は歴史に残る、いや歴史に繰り返し刻まなければならない、記念碑的名作だと思う。
『HR』とはホームルームの略。日暮里定時制高校の英語教師を香取慎吾が務めるコメディーだ。全23話の毎回、観客100人を砧スタジオ(東京・世田谷)に入れ、7台のカメラで30分間のドラマを「一発撮り」するという実験劇だった。三谷が言うには、「日本初のシットコム~シチュエーション・コメディー~」への壮大な挑戦であった。
生放送ではないが、やっていることは生放送とほぼ同じ。カット割りなどなく、セリフを噛(か)もうが忘れようが、ドラマは無情にも進行していく。スタジオで見ていて、これだけ見る側がドキドキした収録も珍しかった。
当時、砧スタジオに行くと、必ず観客席の中に溶け込むようにSMAPの女性マネジャーの姿があった。朝からリハーサルはやってはいるものの、本番収録30分間のノンストップの緊張感たるや、なかった。
座長の立場でもある、当時25歳の香取慎吾。
その場の空気を和ませるのも、凍(い)てつかせるも、すべて香取の双肩にかかっていた。時間は決まっているわけだから、早口になって巻いてもいけない。間を取りすぎて延びてもいけない(尻切れになる)。
最先端の貴重な体験ができる幸せ
くだんの女性マネジャーは毎回、祈るような思いで香取を見つめていたし、三谷はちょっとしたズレでドラマが崩れそうになるのを、気合でせき止めていたように思う。
ある収録の回が終わった直後、三谷が筆者に近寄って来て、耳元でささやいた。
「今のね、今の、もう1回アタマから、やり直せたら、数倍良くなります、絶対に、あと1回やったら、アッと驚くほど改善されますっ!」
何回もリハーサルを重ねてきて、ベストで臨んだ本番。だが、かなり良くなったものの、あとひと押しで化ける。作・演出家には、それが透けて見えるのだろう。じだんだを踏んでいる彼を見て、香取という俳優は、最先端の貴重な体験をさせてもらっているなあ、とうらやましく思ったものだ。
この企画の2年前、「おっはー」が流行語にもなった慎吾ママのキャラクターで香取は世間をアッと言わせた。そして、主演に名指しされたこの『HR』が縁となり、04年にはNHK大河ドラマ『新撰組!』(三谷幸喜脚本)の主演を務める栄誉にあずかる。その後も、三谷からは厚い信頼を受け、映画やドラマに出演を重ねている。
一方、慎吾ママに加え、忍者ハットリくん、孫悟空、「こち亀」の両さんといったコミカルなキャラクターを映画やドラマで演じる機会が多かったために、天真爛漫(らんまん)、器用そうにも見える。
だが、『HR』の収録スタジオで、優秀なスタッフたちに温かく見守られながら収録に挑む、熱く澄んだまなざしを思い出すにつれ、実は繊細で、一途な人間ではないかと思うのだ。
あれから14年。香取のまなざしの先には今、何が映っているのだろうか。
作詞家として活動後、1980年代半ばにエンタテインメント・ジャーナリストに転身。近著に『誰がJ-POPを救えるか?』(朝日新聞出版)。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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