著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の佐藤仁美さんだ。
――お父さんは新聞販売店を運営しながら、男手一つで4人の子どもを育てたとか。
「一軒家の下が作業場で、毎朝3時に起きて新聞配達です。働く姿をずっと見てきました。きょうだいは姉2人に兄と私の4人。実はパパは離婚していて私だけ母が違うんですが、それを知ったのが20歳。芸能人の波瀾(はらん)万丈な人生や家族関係を振り返るテレビ番組を見ていて、姉が『うちがこうだったらどうする?』と聞くので『メッチャ笑う~』て言ったら『そうなんだよね~』って、初めて知らされた」
――すごい話ですね。仲良しだったのですか。
「本当に普通のきょうだいとして育ちました。パパは末っ子の私をとにかくかわいがり、私には『ノー』とは一切言わない。それを知っている姉兄からはお小遣いをせがむときにうまく使われていました。中学のときに1万円の真っ白なコートを買ってもらったときは姉兄にひがまれたのを覚えています」
「一番上の姉とは8歳違い。私が10歳ぐらいから姉が母親役をこなし、食事は姉が作ってくれていました。だから、私が知っているのはおふくろの味ではなく姉の味」
――お父さんはコツコツ働くタイプでした?
「そうですね。でも結構やんちゃだったと思うんですよ。『ちょっとけんかしてくるわ』みたいな記憶があります。イケメンだったし、もてましたね。わがまま気質でもあり、そんなところが母性をくすぐったんだと思う。私が大人になったときも『パパはね、あの人と関係を持ったんだ』なんてことまで報告してくるくらいで」
――自由でオープンなところは、お父さん譲り?
「そうですね。おばあちゃんとは同居していたんですが、ある日、おじいちゃんが亡くなったという知らせにパパは『あ、大丈夫、大丈夫』と。私、そのとき初めておじいちゃんがいたことを知りました。もう家族みんなテキトーで『いいんじゃない、楽しけりゃ』って感じで」
――お父さんに威厳は?
「ありました、やっぱり4人育てたから。結構、父親でありたい人なんです。高校生で上京したんですが、別れ際に『頑張れよ』と言われたので冗談で『おまえもな』と答えたら『親に向かっておまえとは何事だ』と10年くらい根に持たれた。自分の感性で学んでいく精神を教わりました。何一つ押しつけず、自由に進ませてくれましたから」
――日本の家族の姿を描いた最新作の映画では、しっかり者の長女役ですね。
「私には無駄に責任感ある長女や世渡り上手な次女のイメージなど全部混在しています。今回、守るものがある人は強いということを改めて感じました。私自身の守るものはまだ見つけていませんが」
[日本経済新聞夕刊2016年12月13日付]