太田裕美さん 尽きぬ向上心は父譲り

おおた・ひろみ 東京都出身、61歳。74年「雨だれ」でデビュー。代表曲に「木綿のハンカチーフ」がある。伊勢正三、大野真澄とユニット「なごみーず」を結成、各地でライブ活動をしている。
おおた・ひろみ 東京都出身、61歳。74年「雨だれ」でデビュー。代表曲に「木綿のハンカチーフ」がある。伊勢正三、大野真澄とユニット「なごみーず」を結成、各地でライブ活動をしている。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は歌手の太田裕美さんだ。

――実家は町工場だったそうですね。

「父は包装資材をつくる町工場を営んでいました。東京で創業し、私が3歳の時、規模を大きくするため埼玉県春日部市へ移りました。父は職人気質で豪快。典型的な昭和の人間でした。人付き合いが大好きで、住み込みの人たちと囲む食卓はいつもにぎやかでした」

「母はお嬢さんタイプ。結婚の条件が『お手伝いさんをつけること』だったそうです。しかし、とても働き者でした。父の仕事を手伝い、家事や育児もこなす。忙しいのに、玄関はいつもきれいに整頓されていたのが印象的です。家庭を持つという責任が、母を変えたのかもしれません」

――そんな両親のもと、音楽の道へ進みます。

「8歳からピアノを習い始めました。当時はテレビやラジオで音楽があふれ出すようになってきていた時代でした。音楽に触れる機会は多かったです。よく実家の社員旅行や忘年会で、みんなの手拍子に合わせて歌っていました。そのような環境で育ったため、歌うのが大好きでした」

「中学校の進学を控えていた頃、ピアノの先生から声楽を学べる学校をすすめられました。私は練習嫌いで、ピアノはサボってばかり。でも、長女の私は先生をお姉ちゃんのように慕っていましたので、先生の助言を受け、すすめられた学校へ。両親も自由にさせてくれました」

――そして、19歳でデビューを果たします。

「中学3年生の時、歌番組でバックダンサーなどを務めるスクールメイツのオーディションに合格したのがきっかけです。芸能界は華やかな世界ですが、当時は世間が抱くイメージはよくなかった。しかし、両親は『やりたいなら、やったらいい』と言ってくれました」

「デビュー前、印象的な出来事がありました。父が家を建て替えたのです。話は以前からあったのですが、『デビュー後だと娘の稼ぎでやったと言われる』と思ったそう。プライド高い父ですが、私の活躍はとても喜んでくれました。サイン色紙を何枚も頼まれたのはいい思い出です」

――自身も母として、2人の息子を育て上げました。今後の目標は?

「長男、次男ともに20代。子育ては本当に大変で、苦労の連続でした。母はこんな大変なことを、しかも仕事を手伝いながらしていたなんて。親のありがたみや愛を感じる日々でした」

「これからは歌もピアノも、もっと上手になりたい。向上心が尽きないのは父譲り。一代で工場を築き上げた父のパワーを引き継いだのかもしれません。裕美の『裕』の字は、本名では『弘』と書きます。これは、父の名前が由来です。最近ではますます、顔も父に似てきました」

[日本経済新聞夕刊2016年11月22日付]

エンタメ!連載記事一覧