料理家・栗原友さん 味覚育ててくれた両親

くりはら・とも 1975年東京都生まれ。2005年から料理家として活動。毎月料理教室を開く。近著に「クリトモの大人もおいしい離乳食」「クリトモのさかな道 築地が教えてくれた魚の楽しみ方」
くりはら・とも 1975年東京都生まれ。2005年から料理家として活動。毎月料理教室を開く。近著に「クリトモの大人もおいしい離乳食」「クリトモのさかな道 築地が教えてくれた魚の楽しみ方」

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は料理家の栗原友さんだ。

――お母さんは料理家の栗原はるみさんです。子どもの頃から料理を習っていたそうですね。

「最初につくったのはシンプルな卵チャーハンと味噌汁です。小学生になったばかりの頃でした。両親が共働きで、少しでも母の手伝いをしたかったからか、自分から教えてとお願いしたのを覚えています。はじめは市販のだしのもとで味噌汁をつくりましたが、母がだしを取る様子が実験みたいで面白そうだったので、教えてもらいました」

――お父さんは元キャスターの栗原玲児さん。とても厳しかったそうですね。

「厳しい父によく怒られた私。父を立てつつ私をフォローしてくれる母という親子関係でした。テーブルマナーやあいさつには特に厳しかったです。家はまるでマナースクールみたい。大人になってから恥をかかないように、ということだったのでしょう。おかげで早い時期からいいレストランに行けました」

「父はもともとニュースキャスター。小説も書き日本語にもうるさいです。本を出した時、校閲担当者から褒められたと伝えたら『俺の子なんだな』と。普段は厳しいので今でも褒められるとうれしくなります」

――長く両親と一緒に暮らされたとか。

「実家が好きすぎて家を出るのが嫌でしたね。母の手料理が好きだったのもあります。英国留学で初めて親元を離れました。一人暮らしでは自分で料理をするのが楽しく、外国の友人が料理を喜んでくれるのがうれしかったです。ただ、料理を仕事にしたいと思うほど興味はなく、アパレル関係の仕事をしていました」

――どうして料理家になろうと決めたのですか。

「そもそも母と同じ職業なんて面倒くさいと思っていました。知人から料理の仕事に誘われてどうしようかと迷い、母に軽く聞いたら『絶対いいからやりなよ』と背中を押してくれたんです。料理家としていきなり仕事の機会に恵まれたのは、親の七光のいいところですね」

――今でも毎月数回は家族で食卓を囲むそうですね。

「小さい頃からこの味を知っておけ、と必ずおいしいものを分けてくれました。父も母も幼いうちから味覚を育てたかったのでしょう。私も同じ思いを受け継いでます。2歳になったばかりの子どもに、オリーブ油やスパイスなど様々な国の調味料を使った離乳食をつくっています。母から『子育てが上手ね』と褒められとてもうれしかったです」

「私は母が好きなんです。料理のちょっとしたことでも悩んだらすぐに電話してしまいますし、今でも甘えたいのかもしれません。最近楽しくなってきたお菓子作りなど、母から学びたいことはまだまだたくさんありますね」

[日本経済新聞夕刊2016年12月6日付]

エンタメ!連載記事一覧