著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の大野拓朗さんだ。
――両親と仲が良く、家族は宝物と公言しています。
「僕が高校生の頃まで、父はさいたま市内で車などの部品を作る町工場を経営していました。母も工場勤務。2人とも、どんなに仕事が忙しくても、僕と姉に正面から向き合ってくれました。僕が小さい時『どうして神様は存在するの?』といった難問を父にすると、はぐらかさず、面倒がらずに本などを調べて答えてくれました。その答えは忘れましたが、うれしかったな。大好きです」
「僕より3歳上の姉は思春期の時、ちょっとやんちゃでした。両親はとても心配していたので、僕は心配をかけてはいけないと思い、優等生でいようとしました。いい子でいるのが当たり前といった意識です。だから反抗期というものがなかったですね」
――テレビドラマでは、すくすくと育った好青年という役柄が多いです。10代はその通りの日々だったのですね。
「いいえ。18歳の時、大学を5校受験して全滅しました。1年間、浪人したのですが、3月から3カ月間はショックで家に引きこもりました。初めての挫折です。学んだ高校は地元ではそれなりに進学校だったので、うぬぼれがあったのかも。だれにも会いたくなく、うつ状態に。僕は何のために生きているのか、自分なんかいないほうがいいのでは、とまで考えました」
「父はそんな僕を無言で支えてくれました。毎日、仕事から帰ると母が作った夕食を部屋まで黙って運んでくれました。『自分で乗り越えるしかないんだ』と父の目は語っていたように思います。どんな言葉よりも、ありがたかったです。支えられた分、僕がこれから両親を支えていこう、恩返しをしようと思いました。好青年の役柄は制作者側の設定です。その通りに演じるのが僕の仕事です」
――好青年だけれど、ちょっととぼけた演技も魅力の一つといわれています。
「NHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』に製材問屋の跡取り養子として出演しました。にっこり笑って頭に手を当てて『まいっちゃうな~』が定番のポーズでしたが、父もそれに近いしぐさをよくしていました。我が子に対してはいつも真剣だけれど、どこかちゃめっ気もある、といった父です。役作りとはいえ、親子だなと痛感しますね」
――テレビ、映画、舞台と活躍の舞台は広がります。
「両親は子の自主性に任せてくれたので、俳優を志したときも、反対はありませんでした。父は現在59歳で、母は58歳。自立を契機にさいたまの家を出ましたが、連絡だけはこまめに取り合っています。先日も父から電話で『テレビ見ているよ。頑張っているね』と応援メッセージ。親の期待に応えたいと仕事にも力が入りますね」
[日本経済新聞夕刊2016年8月9日付]